

自分を知るためのバロメーター(Ring14)
適当な大学を出て、適当な会社へ就職すれば、一生なんとかなった時代は終っています。自分で、自分の強みや弱みを知り、自分が役立つことを会社にアピールする時代になりました。順位づけが優劣だというのは、社会とは遠いところにいる先生や親のエゴでしょう。大切なのは、順位が他者との優劣のはかりではなく、自分自身の強みと弱みのバローメータであると、早いうちから認識することです。
チャンスの平等(けろろん・北海道・既婚・33歳)
努力しようとせずに、結果だけを求める親も子も増えてると思います。安易な平等主義をすすめる人は、一人一人の尊さを深いところでは認めていない。正当な努力なしに「自分の子どもが評価されなくておかしい」という被害者的な意識もあるのではないでしょうか。「平等」の言葉を、「何も努力しない結果の平等」ではなく、「チャンスの平等」というようにシフトして考えるべきだと思います。
子どもは甘やかしてはならない(binko)
最近の教育方針に異議あり。優劣は子どもに必要です。成績の良い子は、わからない子どもに知識を分け、早く走れる子は、まわりの子どもも早く走れるように励ましたり、教えたりする場を設けるのです。クラス全体も活気づく。できない子どもは、「なぜ?」と考え、努力するきっかけになるかもしれない。子どもは考え方が流動的で、一日一日成長しているのです。甘やかしてはならないのです。
生まれつきの差を個性に(REO)
徒競走は、必ずビリで運動会は苦手でしたが、順位をつけられることが差別とは思わなかったなぁ。それは差別じゃなくて事実。大人になって現実を知らされるわけだし、そんな表面だけを取り繕ったやり方なんて、すぐメッキがはがれます。差別やいじめに過剰反応した手抜きの教育だと思う。事実は事実として受け止め、生まれつきの差を個性に活かすことができるようにしてほしい。
画一的な優劣のつけられ方が問題(laila)
優劣をつけることは、悪いことではありません。人に目標ができ、向上心が生まれます。問題は、優劣のつけられ方が画一的であることです。優劣をつける側としては、数値化しやすいものほど都合が良い。結果として、一元的な見方でしか評価されません。テストでいい点数を取りさえすればOK。東大合格すればOK。それが問題なのです。人間は、一元的に順列をつけられるものではありません。
口惜しさをバネに(まつげ・関東・既婚・33歳)
成長し、社会に出てからのほうが、もっと厳しい評価や競争に直面するので、そういう訓練ができていないと、生きていかれません。順位を上げるために創意工夫したり、努力したりということ、あるいは、順位を上げられなかったときの口惜しさやそれをバネにする力。こういったものは、実践で身についていくものでしょう。最近の運動会などで見られる「順位なし」など、欺瞞もいいところ。
徒競争のコースにまで口出しする親(mitsuba)
県立高校への進学率の高い中学校の先生から聞いた話。運動会の日の早朝、学校に親から電話がかかってきて、「うちの子が1番外側のコースってどういうことですか?それって成績(通知表や内申書)にひびきませんか?」。その先生はバスケ部の顧問。「試合には勝てるやつしか出さない。試合に出たいやつは練習しろ」と常日頃、生徒にも親にも言っている先生です。そういう指導も必要ですよね。
人生の先の面倒は誰が見る?(あっこねいさん)
そもそも1位がイイ、1位がすべてという風潮が問題。2位の良さも、3位の良さも最下位の良さもあるのでは?早く走れるようになることや、本番で持てる力を発揮できること、できないことや、苦手なことを認識して努力をすること、ときにはあきらめたり、他のことでがんばろうとか、そこが重要なはず。みんなが1位じゃないから平等なのでは?そんなことして、その先の人生まで誰が面倒見るの?

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