

「現地採用社員」(いまいくん・埼玉・既婚・39歳)
現在外資系の会社に勤めてますが、やはり「現地採用社員」って感じることはありますね。差別ってほどじゃないですが。やはり白人のほうがランクが上って感じる時はありますね。正直言って。
どこへ行っても(taz)
転勤族だったため、大学に入るまでさまざまな学校を転々としました。その度に転校生という物珍しい扱いを受けてきました。ある時は標準語を話すことがお高く止まってると言われ、体操服の色が違うと隠されたり。でもそのお陰で、アメリカに来てからの外国人扱いにはさほど不満を覚えることなく、楽に暮らしています。それにわたしの母がよく言った言葉、「みんなあなたが可愛いからヤキモチ焼いてるのよ」。これでかなりわたしの人生と性格は助けられました。
差別を逆手に仕事をする(ururu)
女性で就職活動をすると、やはり同じ条件の男性に比べて差別を受けていると感じます。でも、それは日本がまだまだ「男社会」だから仕方がないのかな、と半分あきらめています。でも、逆にそれを逆手にとることもありますよ。わたしは小柄なので、同じ年齢の男性より「がんばっているね」とほめてもらえることも多いですし、それが次につながることもあります。あながち損をしているとは言い切れないです。
外国人の立場になって(ストック・海外・既婚・28歳)
日本に住んでいた時は差別なんて考えたこともありませんでしたが、海外で生活し、自分がいざ「外国人」の立場になるとさまざまな差別に日常遭遇します。面接で「アジア人は雇わない」とはっきり言われることもあれば、求人広告に「堪能な英語力要」ではなく「英語が第一言語の人に限る」と表記されていたり。もっと細かいことでも言えばきりがありません。
ささいながら負担になること(tarbagan・埼玉・未婚・28歳)
このテーマで一番先に思い当たるのはやはり男女格差。あからさまな差別と言えるものから、あくまで「差」に過ぎないものまであると思う。会社に入ると、お茶くみや流しの整頓などは、暗黙のうちに女性の仕事になっている。中小のメーカーと輸送系サービス業で現在3社目だけれど、どこもそれは変わらない。結局社会に出ようが家庭にいようが、小さいことでもまめに積極的にやってくれる男性が現れない限りは、見て見ぬふり(?)の男性のちょっとしたことを、女性が面倒みてやらなくてはならない雰囲気があり、それに甘える男性が大多数。仕事そのものでも、外で大きな話を決めてくるのは男性、中で細かい事務をサポートするのが女性、という意識が根強い。それはまったく「差別している意識」がなく固定観念からのもので、罪の意識がないだけになかなか解消されないだろうなと思う。
社会に出て知る男女差別(hike・関西・既婚・37歳)
学生の間は、男女差別の存在を感じたことはありませんでした。学校では、確かに、男女同権だと思います。しかし、15年前、就職する段になって、企業のあからさまな差別の実態に唖然! まず、男子学生のところには、電話帳のような就職案内のガイドブックが送られてくるのに、女子学生には何も来ない。さらに、面接時には、男女ともお給料も待遇も同じといっていたのに、10月1日の内定式の日に、お給料は一緒にできなくなったと告げられました(当時初任給で2万2千円の差がありました)。その後も、同期入社の男性と女性との昇進や賃金に差があるまま、今日にいたっています。お茶くみももちろん、女性のみの仕事。昨年雇用機会均等法が改正されましたが、すでに差がついてしまった分は、追いつけるものではありません。
大人からの扱い(ちはる)
母は未婚でわたしを生んだのですが、子どもの頃はそういうこと(母子家庭)で友だちから差別を受けた記憶はありません。しかし大人からの差別は酷かった。子どもの頃、そのことでわたしを一番差別したのは大人である教師でした。何もしてないのに「嘘つき」呼ばわりされクラス全員の前でビンタされたり、「わたしはあんた好きじゃない」と面と向かって言われたり。よく「未婚だと子どもがいじめの対象になるのでは?」と聞きますが、わたしをいじめた人間は子どもではなく、心配している「大人たち」でした。
先生が差別するなんて(どる)
小学校二年生の夏、転校先の学校で読書の朗読コンクールがあった。クラスで代表を決めるので、参加希望の人は放課後残ってねといわれたので、国語が好きだったわたしは、張りきって残っていたが、担任の先生から「あなたは方言があるからダメ」と言われて、泣きながら家に帰った。生まれて初めて方言に気がついた出来事。たしかに「朗読」には「方言」は不向きと今は思う。だけど、努力をする前から、練習をする前から、本を読んでみる前から、切り捨てられたことは、忘れられない強烈な嫌な思い出です。先生は自分が差別したなんてまったく気づいていなかっただろうな。
日本の中に根付く差別(aikoda)
生まれも育ちも東海のわたしにとって、差別とは、海外の人種差別と仕事の場での男女差別だけだと思っていました。でも違うんですね。日本にもしっかり人種差別ってあるんですね。結婚して関西のあるエリアに住むことになったのですが「そこって、やばい人たちのとこなんじゃないの?」「身の安全を考るなら、やめたほうがいいよ」と、何人もの関西の友だちに言われました。海外の人種差別や、動物愛護のことを熱く語る人たちの発言だけにとてもショックでした。国内に人種差別があることを、ほんとに知ってる日本人ってとても少ないじゃないですか。でも実はひそかに、しっかりと根付いているのです。海外のように、社会的にも問題にならずひっそりと差別されていて、とても陰険で嫌なものを感じます。実際、そのエリアに住み始めましたが、大家さんや管理人さんもとても良い方たちで、危険な感じもしません。わたしは海外の人種差別を日本で語る前にまず、日本国内の人種差別をもっと問題にするべきだと思います。

日本の余裕のなさ(ドラゴン)
実際自分が受けたわけではないのだけれど、「左利き」の子どもがきつい言い方で注意されていたのを目撃したことがあります。左利きじゃだめなの?とすごく思いました。左利きを子どもの頃に直された友人がいますが、彼いわく「両手利きだよ」なんて笑ってはいますが、子どもの頃のいい思い出ではないようです。外国にはたくさん左利きの人がいるそうです。日本ってなんか余裕のない感じがしませんか?

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