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今週のテーマ
会議番号:2193
あなたは自分に信仰心があると思いますか?
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【開催期間】
2007年06月18日より
2007年06月22日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
井上順孝 國學院大学教授
交通事故を経験して死を意識し、それを通じて生を意識した方がおられますね。また救急医の方は、治療した人……
議長コメントを全文読む
2日目までに届いている投稿から...
生きる理由がある (sai1019・広島・パートナー有・28歳)
6年前に交通事故に遭いました。幸い、膝と鼻の骨折で1年ほどの治療生活(入院含む)で、現在社会復帰をしています。この交通事故の瞬間、死を意識しました。そして目が覚めたとき生を意識しました。このとき、生まれるとき自分が準備した宿題がまだ終わっていないのだ、生かされている、生きてやることに意味がある、と実感しました。このとき、自分の中の信仰心をとても意識しました。
患者さんを見送るとき (ぱーと救急医・千葉・パートナー有・34歳)
治療の甲斐なく、患者さんを見送るのは辛いものです。霊安室から送り出し、霊柩車が見えなくなるまで、いつも、祈っています。「来世が輝かしいものでありますように」祈る以外に私にできることはない。そういう瞬間はあると思います。
川の神様 (赤鼻のトナカイ・三重パートナー有・)
神社の隣で育ち、「神社の川には神様がいるんだよ」と言い聞かされ、今も素朴にそれを信じています。しいて言うならアニミズムでしょうか。澄んだ川や大樹などを目にすると、そこに特別な何かが存在すると感じ、極端な場合は畏怖の念がわきます。たいていは「その何かを邪魔したり汚したりせず、大切にしなきゃ」と思うくらいですが。私の場合、「自然を愛する心」=「信仰心」なのかもしれません。
「天の神様」 (noruru・パートナー無・37歳)
本来の宗教、信仰とは異なるかと思いますが、幼少の頃から言われたのは「天の神様に聞いてみ」。母が言いたかったのは、他人さまに、世間に、常識に照らし合わせてみなさい、という意味かと思います。子どもの頃は善悪の判断が主でしたが、行動理念と言われれば、信仰といっても良いかなと思い、Yesにしました。それ以外では仏教徒であるにもかかわらずキリスト教に触れる機会が多かったため、「扉を叩きなさい。そうすれば、開けてもらえるだろう」という聖句が行動のポリシーです。
いつでも祈る心 (abovo・北海道・パートナー有・42歳)
旅行の際、目的地で国内なら神社仏閣、国外ならその土地の神様に必ず旅の無事を祈ります。新年には一年の無事と目的の達成、年末には一年無事に過ごせた感謝をします。食事時にはお米一粒に7人の神様がいると思い、大事に食みます。時に応じて自分のご先祖、パートナーのご母堂(物故者)に家庭の幸福を見守ってほしいと祈ります。こんな感じでいつでも何等かに祈り、感謝してます。ただし基本的なスタンスは、「神を信じて敬い、但し神に頼らず」です(宮本武蔵に倣って)。
日々感謝の気持ちを持つこと (Funfunclub・兵庫・パートナー有・43歳)
元々実家は仏教でしたが、あまり宗教には興味がありませんでした。しかし、ある方との出会いをきっかけに、現在は神道に傾倒しています。神様に対して畏敬の念を持ち、謙虚さを忘れず、日々元気に楽しく過ごせることに感謝することで、毎日がすごく幸せに感じられるようになりました。また、損得で物事を考えることがなくなり、迷った時には何が正しいか神様に問い掛けるようになってきました。これが信仰心と言うに等しいかどうかは分かりませんが、自分自身精進していきたいと思います。
難しいテーマですね (kimirie・兵庫・パートナー無・36歳)
気が向いたら、仏壇に手を合わせたり、毎晩写経をしたり、お正月には初詣に行ったり、クリスマスには、ツリーを飾り、賛美歌を歌って、クリスマスケーキを囲んだり、身近で亡くなった人は近くにいてくれているような気がしたり……。勝手なときに、宗教を利用しているように思います。が、じゃあ、本当に信仰心があるのかと言えば、自信を持って、あるとは言えないのが現実です。1年間同じ気持ちで、1つの宗教を信仰してはじめて信仰心があると言えると、私は思っています。
社会的な慣習として (鄙の住人・静岡・パートナー有・57歳)
身内の葬儀を仏式で行うことが、仏教への信仰心の表れか、と問われると、信仰からではなく、伝統的な慣習として、その慣わしにただ参加している、というのが一番近い表現です。信仰は、その人の内面的なものと認識しているので、日ごろ目にするさまざまな宗教の布教活動、他の人に入信を勧めるなどの行為には疑問を感じます。それが経済活動や政治などに利用されたりしているのをみると、無防備な信仰心の危うさを感じます。
3日目の円卓会議の議論は...
「大事にしたい信仰心とは?」
交通事故を経験して死を意識し、それを通じて生を意識した方がおられますね。また救急医の方は、治療した人の死をみつめ、その体験の中に何かを感じられたようです。
リアルな死の場面に立ち会ったり、自身の死を実感したような場合
には、日ごろ見過ごしていたり、とりわけ考えなかったような事柄に心が向きやすいかと思います。
また、
自然の働きの中に神の働きを感じ、
そこに自分の信仰心を自覚するという方もおられるようです。日本人は、神を創造主として、人間と隔絶した存在としてとらえるよりは、神を自然のなかや心のなかに見出す傾向が強いとされます。
常日頃、神に祈りの心をささげ、そこに自身の信仰心を感じ取りなりながらも、
「神を信じて敬い、但し神に頼らず」
というきっぱりとした姿勢の方もおられます。
他方で、折に触れての一時的な心の動きはやはり信仰心とは言えないのではないか、と疑問を呈された方もおられます。さらに、無防備な信仰心が他の人に利用される危険性を指摘された方もおられます。
自分に信仰心があるかないかをあらためて考えてみると、
けっこう自分がボーダーラインのところにいるのに気づかれる方も少なくない
かと思います。
こうした信仰心をもつことは大事と感じる人もいるでしょうし、注意しないとその心が誰かに悪用されると警戒心をもつ人もいるでしょう。その意味では「神を信じて敬い、但し神に頼らず」といった態度は、
悪用を防ぐひとつの心構え
になるかもしれません。
そこで、
どんな形の信仰心なら大事にしたほうがいいか、またどんなものは警戒すべきか、体験を含めて自由に述べて
いただければと思います。
井上順孝
國學院大学教授
「「解決!池上彰のニュースのギモン」」
宗教の風刺はどこまで許されるのか
「あなたは宗教色のない葬式を望みますか?」
最後の別れの場として考えてみると……
「キャシー・松井さんとのwin-win対談」
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