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第2回 奈良房永さん
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2歳の子どもを残して海外出張できない、そこで… |
ロースクールを卒業し、弁護士の資格を取得して国際貿易裁判所で2年間働いたあと、いよいよ法律事務所に就職するというとき、日本ではバブルがはじけ、日本人弁護士としての就職が厳しい状況になっていた。
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「日米の通商法問題を扱っているところで働きたいと思ってずいぶん探しました。そしてようやく就職。それから1度転職して、今の法律事務所が2つ目。ここには弁護士だけで800人います」
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現在、奈良さんが勤務するピルズベリー・ウインスロップは、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルスを始め、東京、ロンドン、香港、シンガポール、シドニーの海外オフィスを含む16の主要都市にオフィスを構える大手法律事務所。ここでキャリアを積んだ奈良さんにとって、これまででもっとも達成感が大きかった仕事とは。
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「法律事務所に入ったとか、パートナーになれた(最初はアソシエートという従業員の身分だが、パートナーになると事務所の利益の配分という形で収入を得るという立場になる)とか、それぞれ節目かもしれないけど、本当に日米摩擦問題の中で何らかの貢献ができているかどうか、ということになると日々チャレンジですね」
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「では、思い出深かったお仕事は?」とお聞きしたところ……
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「転機になった仕事といえば、96年に反ダンピング問題が持ち上がって、急遽オーストラリアに出張することになったときの仕事。このとき、主人も南米に出張することになっており、まさか2歳の娘をベビーシッターに任せて両親ともアメリカを離れるわけにもいかず……。考えた末、オーストラリアに行く途中で日本に立ち寄って妹に娘を預け、タイとオーストラリアで仕事をして、帰りに娘を引き取ってニューヨークに戻ってきました。結果的に、ボスもクライアントも私の仕事を認めてくれ、子どもに悪い影響もなく、うまくいきました」
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転機というのは、その後のキャリアにおける転機という意味だろうか?
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「そうです。日本と同じで、誰かが認めてくれないとキャリアアップしていけないしくみなんです。認められなければ、どんどん淘汰されたりレイオフされたりしますから、日々競争ですね」
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