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第2回 奈良房永さん
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2年目から努力の成果が現れる |
こうして、ニューヨークで念願の学生生活をスタートさせた奈良さんだったが……。
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「もう悲惨でした(笑)。最初の成績がよくなくて、そのころは毎日泣いて暮らしてた。なんと言われてもいい、もう日本に帰るって。すごく自信なくしました。あれだけやったのにこの程度の成績なの? という気持ちもあったし。それに、めいっぱい孤独だった」
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それまでの自分のキャリアなどまったく意味をなさず、言葉の壁や環境の激変に心底苦しんだという奈良さん。私ごとながら、ニューヨークで暮らし始めて直面した思いがけない問題のひとつが「孤独との戦い」だった。ある人は、その孤独さは現代病のひとつなのではないか、と言う。この街に住む女性たちの誰もが“淋しさ”や“心の空虚感”に悩まされているというのだ。実際、私も客観的に見て、みっともないほどに戸惑ったし、無性に不安になったりもした。それは、30年生きてきた中で初めての経験だった。聞けば、奈良さんも例外ではなかったという。淋しさのあまり、ご主人にかけた国際電話の請求がかさみ、「僕のお給料はほとんどフス(ご主人は奈良さんをこう呼ぶそう)との電話代に消えていた」と後日、彼から告白されました、と、ほほえまれた奈良さんの表情に、なぜかホッとしている私がいた。そして、その後、奈良さんの努力の成果は着実に現れてくる。
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「ローレビューという学会誌のようなものがあって、1年生の成績と学年末に提出する小論文によってその編集委員が選ばれます。これに選ばれるかどうかで、卒業後弁護士として出世コースに残れるかどうかが決まるというところがあるのね。で、それに選ばれたんですよ! これで、2年目からは大分らくになった」
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しかも、優秀な女子学生に贈られる奨学金まで射止めた奈良さん。私はその信念の強さに、ただ、ただ、感嘆の声を上げるのみだった。
さて、ロースクールを卒業すると、ニューヨーク州の司法試験を受けて弁護士の資格を取得。通商問題に関心のあった奈良さんは、すぐに法律事務所に就職せずに、通商法・関税法案件の司法審査を行う米国連邦国際貿易裁判所で、2年間判事の助手として働くことになる。 |
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