
そこに立っている自分の存在(wakano)
あの戦争にまつわる施設や記念碑ですが、地元の御墓の中にある記念碑、広島原爆資料館、長崎原爆資料館、沖縄の多くの記念碑や遺跡、韓国に残る幾つもの記念碑、等すぐに挙げられますが、その他にも訪れたような気がします。どれも嫌な気持ちを抱きました。戦争は嫌だな、二度とあって欲しくないな、と思いました。特に韓国には多くの外国人に日本の酷さを伝える看板や碑文があり、それを見た時はショックでした。悲しかったです。そこに立っている自分の存在をどうする事も出来なくて困りました……。今後も看板は取り外さないでしょう……。
国の決定と民衆の感情とのギャップ(閑人・大阪・パートナー有・48歳)
20年前のYMCAのクラスに、韓国の同年代の男の子がいました。その人は、親日の方で日本に留学されたと思いますが、日本の朝鮮半島の併合を侵略が目的だとはっきり言っていました。私は、歴史的事実は、少なくとも50年以上たたないと、いろいろ関係者に問題が起こることが多いので、真実は出てこないと思っています。ただこれはどこの国でもそうですが、その国の政治の統治者が決定したことは、必ずしも民衆の感情とは違うと思います。私は、侵略だという感情が、朝鮮半島の国民感情だということは理解でき、彼も、日本のすべてが、軍国主義者でないことも理解していました。とにかく、世界の政治は、「善意」で動いているわけではないことは確かです。
事実を知り、未来へ生かすこと(ごまたま・東京・パートナー有・40歳)
先日の上海の反日デモで、私の勤めている会社の駐在員の住んでいるマンションの1階にあったローソンが襲撃されました。ガラスを割られて大変だったそうです。出張だけでなくプライベートでも訪れる機会の多い中国ですが、プライベートで行くときは歴史に関係する施設に立ち寄るようにしています。南京では南京大屠殺記念館に行きました。正視に耐えないような写真も多数あり、戦争の狂気について改めて考えさせられました。過去にあったことは事実として、歴史教科書でもしっかり教えるべきだと思います。過去の過ちを知ることによって、ニ度と同じことを起こさないようにしようという決意につながるのではないでしょうか?
戦争認識の隔たり(skyblue-yuko・埼玉・パートナー無・25歳)
学生時代よく中国に旅行に行っていたのですが、長距離電車に乗って中国人の方と仲良くなると、「日本は昔こういう悪いことをしているんだ。知っているか? XXという戦争犯罪者を知っているか?」というような話をされたことが結構あります。中国で歴史の教科書を見せてもらったり、実際に記念館に行ったりもしたのですが、戦争認識が中国と日本では隔たりが非常に大きいと感じました。日本は原爆を落とされたという被害者意識が非常に強いですが、一方で、中国は日本に侵略されたという意識が強いように感じます。
感情に左右されず、心をオープンに(ろころこ66・東京・パートナー有・38歳)
アメリカに住んでいた頃はしょっちゅう体感していました。同年代(60年代生まれ)の韓国人の友人には「なぜ、負けるとわかっていて戦争を続けたのか?」「韓国は日本よりも上だ」という話を複数名からされ、また80歳の中国人男性には第二次世界大戦中の日本のしたことをとうとうと話されたことがあります。人間はどうしても感情抜きで物事を判断することは難しいと思います。そういったいやな思いをアメリカで何度もした私ですら、今回の反日運動のあと電車で中国語を話す人たちをみると心が騒ぎます。必要以上に感情が反応しないためにも、いつも心をオープンにし問題を避けず、個人レベルではできるだけ自分からコミュニケーションしていたいと考えます。
平和的国家としてのアピールを(Bise・東京・パートナー無・38歳)
カナダに留学するまで自分と日本、自分と外国の関係を意識したことはありませんでした。でも、実際自分が海外に出てみると、確かに他の外国人に比べて、国際関係や歴史の知識が少ないことを痛感しました。そして、日本が中国や朝鮮に対してどんなヒドイことをしてきたかを知らずに、その国の人々と交流するのは難しいと気づきました。今後も負い目を持って接していかなければならないとは思いませんが、日本が二度と愚かな争いを引き起こさず、平和的な国家であり続けるというのを分かってもらうためには、私たちは相当な努力と忍耐を持ってアピールしていかなければならないだろうと思います。ただ、今回の問題で一つだけ良かったなと気づいたことがあります。私が学んだ教科書では、確か外国の国に対して敵意のある表現を使ったものはなかったと記憶しています。どこの国とも、人種などは関係なく、仲良くやっていこうと習ったと思うので、それは本当にいい教育を受けたと実感しています。