
高齢者の自殺に……(ピオーネ・静岡・パートナー有・33歳)
中学生の時に自殺を考えたことがあるが、ある程度、大人になってからはない。最近、身近な高齢者が自殺した。その人は、家族にかかる介護の負担を憂い、また思い通りにならなくなっていく自分の姿を受け入れ難く、自殺を選んだ。今、「老い」と「死」、また、「自殺」ということに関して深く考えている。
弱い人が増えた(だんごまま・奈良・パートナー有・40歳)
今になれば、つまらない理由ですが、その時は生きる希望をなくして、本当に死んでしまいたいと思っていました。なんとか生き延びて親になった今、命の大切さをヒシヒシと感じます。自分がどんなに周りの人に大切に思われて育ったかも。ネット心中の件、新聞などで動機を読む限り、弱い人が増えたなと。自殺の増加はストレスや試練に打ち勝てない弱い人が増えたせいでは?と思います。
同情されたかった(きの・千葉・パートナー無・35歳)
正確に言うとちょっと違うのですが、数年前、まだ会社員だっころ、ストレスからうつ状態になり、「この精神状態だと、何かあったら自殺してしまうかもしれない」と思っていたことがあります。また、失恋のつらさから、ちょっと考えたこともありますが、本気で死のうと思っているのではなく、「自殺を図って、助かって同情される自分」を演じたいのだな、と気づいて、ばかばかしくなったこともあります。
誰かにかまってほしかった(泉鈴・広島・パートナー有・33歳)
自殺を考えたことがあります。理由は、「死んでやる!」と言えば、誰かが必ず心配して、気にかけてくれるからです。当時は、誰かにいつも見守ってもらえているという実感がまったくなく、それで思いついたのが「自殺」でした。本当に死んでもおかしくないくらいの状況に追い込まれた時は、まったく自殺なんて考えませんでしたから、余程「誰からもかまってもらえない」とばかり考えていたのだと思います。
コミュニケーションの激減が原因では?(ROSAY)
弱い人間だから、自殺が脳裏をかすめたことはある。でも、生きがいがあったから、踏みとどまった。自殺が増えたのは、コンクリート物に詰め込まれ、働いたり、勉強したり、社会から文化や文化に接する時間が減少したからだと思う。また、電子ゲームや駅の改札も機械。生きているものとの接触、コミュニケーションが激減したことに、人間=ロボットになってしまっていると思う。
心配してもらいたかった(みーママ・岐阜・パートナー有・29歳)
子どもが生まれるまでは、親に叱られた、彼氏と(夫と)けんかした、なんてことで考えました。わたしのことをわかってくれる人がどこにもいないと決め付けて、世の中で一番不幸だと思い込み、数回はリストカットもしました。でも、痛くて死ぬほど深く切ることはできませんでした。今は、死んだら子どもの成長が見られないと考えるだけで悲しくなるので、死のうと考えなくなりました。本気で死のうと考えていたのではなくて、リストカットしたら心配してもらえるという考えだったのかもしれません。
「生きたかった」父を思うと複雑(chaf)
思春期にはありました。10代特有の虚無感、将来への絶望とか、自分の命に価値がないような思いがありました。今思えば、自分を好きじゃなかったからそうなったのかな、と思います。30代を目前に控えた今は、少しでも長く生きたい、と強く思っています。自ら命を絶たれた方にはそれなりの大きな理由があったとは思うのですが、死にたくないのに亡くなった父を思うと、とても複雑な気持ちになります。
人間関係が薄いため(Sae・東京・パートナー有・38歳)
学生のころは、しょっちゅう考えていました。今、自殺が増えているのは、人間関係が薄くなっているためではないかと思います。家族や親しい友人の間でも取り繕ったり、愛想笑いで逃げているために、自分がとらわれているストレスや問題は、自分ひとりで解決できなかったらもうお終い、と思ってしまうのではないかと。若者だけでなく、中高年の自殺も増えていますね。銀行の貸し渋りなどを見ても、人の命よりも金、立場が優先されている気がします。

人生に必要なのは「勇気と希望とサムマネー」(いまいくん・埼玉・パートナー有・41歳)
「お金があれば生きていけますか?」との問いにはYesだと思います。ただ「お金さえあれば生きていける」とは思いません。たくさんお金を持っていても……いや、たくさんお金を持っているがゆえに不幸になる人だっていますから。しかしながら先進国で生きていく以上、必要最低限のお金がないと、これは決定的に不幸です。戦後、間もないこころ、国民のほとんどが貧乏であったころは、貧しさを共有できていたのでしょけど、みんなが「そこそこ」豊かな生活をしている現状では、お金がないのは不幸の第一歩になりうると思います。特に多感な子ども時代に、お金がなくて友達との付き合いが制限されたり、話題についていけないというのは、かなり不幸ですよね。また、子どもをそういう状況に置いているということで、親も不幸になってしまうと思います。喜劇王チャールズ・チャップリンが映画ライムライトの中で言ったように、人生に必要なのは「勇気と希望とサムマネー」なのです。
「米国同時多発テロ」から(Petite・ニューヨーク)
冗談じゃありません。わたしは倒壊する貿易センタービルから命からがら逃げ、難民救助ボランティアをする友人から、必死で生きる道を探ろうとしている人々の写真を見せられ、いわれなき理由で無残に殺されていく人々がいまだいる現実を知らされ、生きているだけですばらしいと思う毎日です。わたしにお金がなくなったら?、這いつくばってでも生きることを考えます。少なくとも先進国で生活し、五体満足である限り、あきらめさえしなければ何だってやれます。わたしは生きることに真摯(しんし)だし、それが恵まれた環境にいる者の義務だと、多少乱暴ですがそう思っています。
公的サポートの充実を(りんべる・イギリス・パートナー有)
お金を理由に自殺してしまう。多くは借金を苦にして、というケースでしょうか。このような場合に、裁判所に自己破産を申し立てるなどの法的な措置が取れると思うのですが、その手続きなどは素人には難しく思えます。困っている人が専門家の助けを求められる環境が必要だと思います。借金に関しては、「借りた本人が悪い。意志が弱い」などの自己責任論で片付けられがちですが、誰にでも起こりうる問題という視点から公的なサポートが求められると思います。日本の高い自殺率は確かに心配ですが、イギリスでもいじめを苦に自殺する子どもがいたりと、世界共通の問題でもあります。
「誰かは誰かより苦しい」ことはない(柳 チハル・福岡・パートナー無)
自殺を考えたこともありませんし、お金があれば生きていけるとも思いません。ただ、お金があればより良く生きることができますね。生まれ持った欲求を満たすことを主流に生きる野生動物と違い、人間は向上心や尊厳などを多く持ち合わせていますから、ずいぶんと生きにくいものです(苦笑)。お金があれば、人ならではの欲求を満たすことが容易になりますね。けれども、本当に月並みのセリフですが、お金だけがすべてじゃない! どんなに高価で実用性に富むすばらしい本を購入したとしても、それを読んで、理解することができなければまったく無意味でしょう。
生活保護が保障されている日本において、結局重要なのは、「自分がどうあるか」のように思われます。幸運なこと(?)に、どうもわたしは生まれながらのオプティミストというか図太いというか、「自殺」に考えが及ばない種類の人間のようです。
ニュースで自殺者の報道があると彼らの気持ちが理解ができない自分に、少々いら立ったりもしますが、そもそも他人の気持ちを100%理解するなんて傲慢だとも思いますし、自殺者に対しても割と冷ややかな目で見ています。誰かが誰かより苦しいなんてあり得ないでしょう。みんなそれぞれにとっても苦しい。つらい。逃げたい。それでも生きる。当たり前のことです。