
励ましながら一緒にがんばる(マグノリア・アメリカ、SF・パートナー無・43歳)
私の三男は生まれた直後から少し他の子供よりも発達が遅いのではないか、という印象がありました。這い這いしだしたのは9ヶ月、歩き出したのが16ヶ月、3歳になっても2言ぐらいしか話せませんでした。小学校1年生のときにADDとの診断を受けました。学校の成績についていけず、LDとの境ぎりぎりで引っかからないため、学校側からもちゃんとした補助を受けられずやむなく学校を変わりました。脳の開発トレーニングなどを受けて、かなり良くはなりましたが、他の子供に比べて2倍、3倍がんばらないとついていけないのは今でも同じです。適切な処置をしてあげないと、周りからのろいとか、だらけてるとしか思われず本人が学校嫌いになり、人とも付き合うのが難しくなってしまいます。本人はやる気だけはあるので励ましながら一緒にがんばる毎日です。
追いつめられていく母親へのケアを(momo-can)
実際子供があまりにも落ち着きがなく、ADHDを疑って専門機関の受診をしました。それまでに何度も保健婦さんと話し合い、それでも子供の行動が私の負担になっていたためです。結果、傾向はあるが治療が必要なほどではないと言われホッと胸をなでおろしました。しかし本心は「ADHDであれば私の育児が責められることもないのに」という気持ちがありました。子供の行動に対しイライラし、怒ることが多い日々。周りはそれを見て「あなたが怒りすぎるから子供が落ち着かなくなるのよ」と私を責めるばかりでした。誰一人として「ゆっくりできなくて大変ね」なんて言葉をかけてくれませんでした。子供が例え発達障害であっても、きちんと周りが母親の負担を理解してあげてるのであれば、障害の有無などは余り関係ないのではないでしょうか。発達障害がなくても母親をサポートする人たちがいなければ、孤独育児の母親はどんどん追い詰められます。「ちょっと落ち着きがないかも?」と思っても、「そんなことないわよ」と助言してくれたり、母親が相談する相手が身近にいないというのが、一見発達障害が増えているように見せかけてるのだと思います。障害があろうとなかろうと、母親をサポートする体制が整っており、最終的に子供がそれで社会で困らなければ(社会に迷惑をかけなければ)本来は障害の確定をしなくても良いのでは? とも感じます。受診した時に言われた「良い部分をどんどん伸ばしていってあげてください」というのは本来どんな子供にも言えること。考えるとすれば、そういう子供を育ててることにストレスを感じてる母親達に対するケアではないでしょうか。私自身にも多少傾向がありますが、案外親子でADHDと言う人もいるようです。そういった場合母親も上手くやれない自分をどんどん卑下してしまいます。私は子供の問題は母親の問題・社会の問題であると思います。
兄弟を比較してしまう(lovesnow・山口)
比較してはいけないと頭では理解しているのですが、できのいい上の子がいると、どうしても下の子の成長が覚束なく思えて悩んでしまいます。たとえば、コンパスを使って円を書くという動作。何回やってもきれいな円が書けない……。リコーダーの穴を左右の指同時でないと放したり塞いだりできない……等。ただ、それも個性だとわりきるには、周囲のアドバイスもさることながら、かなり哲学的な苦悩との葛藤を必要としました。

認識は広まったけれど、行政の対応は(chibayan・鹿児島・パートナー有・38歳)
古荘先生がご指摘されているように、近年発達障害が増えているというよりは、社会的に広く認識されるようになってきた、と思います。それは、昨今のメディア報道や厚生労働省などの発達障害児の支援対策からも伺えます。しかし、早期発見の重要性がこれだけ認識されておきながら行政の対応が遅いことも否定できません。昨日の新聞で、早期発見の機会である乳幼児健診に携わる保健師さんでさえ、自閉症の主要な所見を答えられない人が多い、という報道を見て正直「えー、そんな……」と思ってしまいました。
ADHDの境界線は(いまいくん・埼玉・パートナー有・42歳)
皆さんの投稿を読んでいると、子供が……と言うより自分がADHDだったのでは? と思い始めてきました(^_^;) 子供も私に似て、とても注意力散漫です。古荘さんの「極端にいえば子どもは皆ADHDに見えます」に少しホッとしてますが、どの辺りが境界線なのが、かなり興味があります。
協調して生きていく社会に(AK・東京・パートナー有・39歳)
私自身は自分の子供に対して障害をうたがったことはありませんが、子供たちの生活環境をみていると自分自身が子供だった頃にくらべて、障害をもつお子さんと生活において協同していく機会がずっと増えているのではないかと感じています。発達障害の方が、昔とくらべて増えているからなのかどうか、私にはわかりませんが、少なくとも私自身が小学生のときに周囲にそういったお子さんがおられたという記憶はないのに対し、私の娘たちの生活集団のなかには何人もおられ、子供たちは皆ごく自然にあたたかく友達として関係を築いているようです。多様な社会を、お互いが協調しあってよりよく生きていくために、子供たちの環境、ふるまい、対処などについて子供たちとも率直に話をしていきたいと考えています。