
握手と共に「行ってきます」「行ってらっしゃい」(パウダースノー・32歳)
私が、というより私の母がしてくれたのですが、子供のころ学校に行くときに、必ず握手をして「行ってきます」「行ってらっしゃい」をやりました。母がどこかでちょっと聞いてきて実践したようです。ちょっと変な光景かもしれませんが、外人のように軽くキスするのに抵抗があっても握手ならしやすいですよね。何かいいことあるのか? と言われてもわからないのですが、握手をすることで必ずお互い顔を見合わせて言葉を交わすことになるので、忙しい朝のちょっとした心の通い合いになった気がします。
メモに自分の気持ちを表すイラストを添えて(Hanapi・東京・29歳)
表情や行動にも気を配っていますが、メモを書き置きする時などに、自分の状態を表すようなちょっとした絵を添えたり(相手の対応が遅くて困っている時は、ふくれっ面の絵を描いて、メモを吹き出しに入れるなど)することもあります(いつもそんな絵を描いている余裕はないのですが)。普通の書き置きでも受け取った人が「かわいい!」と喜んでくれたり、クレームのメモに対してそれを持ってわざわざ謝りにきてくれたり、相手が対抗して絵を書き加えた返事メモが戻ってきたりすることもあり、“コミュニケーションを円滑にする”というほどの大げさな効果はないにせよ、何かしら“和み”をもたらしているのかなぁと思っています。
脳梗塞の後遺症による失語症の父との交流(すら・東京・パートナー有)
脳梗塞の後遺症で失語症の父がいます。読む、書く、話す、理解するの能力のすべてにおいて支障が出る病気なので、相手を理解するには、何を言いたいのかをその人の表情、視線を見ながら身振り手振りを交え、場合によってはイラストや地図など、ありとあらゆるものを総動員して判断しています。言葉で簡単にコミュニケーションができない分、こちらの表情や雰囲気を敏感に感じ取っているようで、私もつとめて明るく、簡潔に話をするように心がけています。
家族とのコミュニケーションは、いままでそこにいるという”存在”だけで安心していたのか、実は上っ面だけであり、相手のことを理解するまで至っていなかったレベルだったのに気が付きました。
京女なのでそれなりに工夫してます(ozyan・京都・パートナー有・33歳)
「京女は言っていることと思っていることがまったく違い、柔らかい言葉使いと笑顔の裏にどす黒いものあり」と思われがちなので、言葉はすっきりストレートにし、なるべく表情や仕草で言葉をサポートしています。
人との距離のとり方、女性は得かも(とかげのしっぽ・埼玉・24歳)
人と接するときの物理的距離が近いようです。話しながら相手に触れることのできるくらいの距離が一番話しやすく思いますし、実際に触れることも多いです。「オープンだね」とか、ときには「無防備すぎないか」とも言われます(そうかなぁ?)。
アラブとアメリカの外交官が、互いに快適な距離をとろうとして、パーティー会場をぐるぐる歩き回っていたという話がありますが、距離を近くとっても圧迫感がないことは女性の幸運な特権かもしれませんね。相手の体に触れることも、男性は難しい場合が多いでしょうし。
私の課題は、悪い緊張感や心理的な垣根を抱いてしまったときに、それが相手に筒抜けになってしまうことです。大人になれないな〜と反省の種になる常連テーマのひとつでさえあります。ノンバーバルコミュニケーションの70%の伝達効果、実に侮れません。
もっと「表情力」をと思いつつ……(えむえみ・大阪・パートナー有・41歳)
週に1度、会社が休みの土曜日にバレエ教室を開いて、子供から大人まで指導をしています。コミュニケーションといえるかどうか、とくに子供の指導には、言葉と身振りだけではない、「表情力」のようなものが、必要な気がします。子供の指導に対してだけでなく、普段の生活の中でも利用すれば、コミュニケーションがもっとスムーズになるかもしれないと、考えながらこれを書いています。でも、なかなか、そこまでできなくて……つまり、そこまで必死にコミュニケーションをとろうと思っていないということでしょうか。