
親がきっかけ作りをしてあげることは大切
(ヨハンナなおこ・神奈川・既婚・32歳)
子どもが興味や関心を持つようにするために、親がきっかけ作りをしてあげることは大切だと思います。いろいろな機会とチャンスを与えて、その中から自分で興味を持ち、チャレンジできるようにすることを心がけています。子どもの好きなことをしているときのキラキラ輝いている目は、本当にすてきです。
考えるきっかけになった校長先生の言葉
(トッシー・東京・既婚・45歳)
西川先生のコメントにある品川不二郎先生は、わたしが入学したときの東京学芸大学附属世田谷中学校の校長先生でした。教育ママの管理の下でやっと入学し、最初に校長先生から「自由に本当に好きなことをやりなさい」と言われて、何がやりたいのかわからなくて途方に暮れたあの日を思い出します。
ただ好きなことといっても、なんの知識もない状態ではなく、ある程度の学力と判断力があるとわかった上でのお言葉だったと思いますが、その時に考える機会を与えられたことが、その後とても役に立ちました。
もちろん子どもたちには学校の勉強もしっかりやってほしいのですが、マニアックに好きな生き物や星の観察(昨日も月と火星の大接近を何時間も見ていました)を飽きるまでやっていてもいいと思って、そばで見守っています。
まず褒めることからはじめている(akemimi・佐賀・既婚・33歳)
うちの子(男の子・6歳)は運動は苦手のようですが、工作や塗り絵、お絵描きは上手みたいなので、まず褒めることから始めています。そして、「お父さんは絵が上手、お母さんはお料理が上手、僕は何が上手かな? みんな一つは上手があるよ」とよく言って、得意なものを育てられるよう意識しています。
図書館の「絵本を作ろう」というイベントに参加(chokko・広島・既婚・31歳)
長女(6歳)はお絵描きと空想が大好きなので、図書館の「絵本を作ろう」というイベントに参加してみました。対象は小学生が主だったので心配しましたが、2時間を3日間集中してお話作りから下書き、清書まで一人でやらせました。わたしや主人は側にいただけ。興味があることだからこそ、こんなに集中できたのだと思います。
周りを見渡せば、「ここはこうしたら」とか「こうしないと」とか口を出す親御さんばかり、しまいには色塗りや絵にまで手を出す方までいました。お子さんは席を立って興味が薄れてしまったようでした。これを見て反面教師になったというか、「もっといいものにしてあげたい」という親の勝手な欲望に負けないように頑張りました。でき上がった作品は、子どもらしい今しか描けないものになったと思っています。
自分の常識を子どもに押し付ける教育はよくない(ののうさぎ・福岡・40歳)
わたしにはまだ子どもがいないので、このテーマに関する発言権はないかもしれませんが、周りの友人たちの子育てを見ていて感じたことがあります。友人の一人は、子どもが3人いて、お姑さんが子育てにかなり干渉してくるらしいのです。しかし、そのお姑さんは長年教育者として教鞭をとってきた方らしく、かくしゃくとして教え方も上手らしいのです。
しかし、幼稚園の子が、お絵描きで「ゾウさん」をピンクに塗っていたら、「ゾウさんはグレーでしょ」とすかさず訂正が入ったらしいのです。これが数学のように答えがはっきりしているものならいいのですが、お絵描きのように子どもの感性を育てるものの場合は、そういった教え方はどうかと思います。
大人は時に、自分の常識を子どもに押し付けた教育をしているのではないでしょうか。子どもは頭からダメをだされると、そこから先の伸びがなくなってしまうと思います。
親の価値観の押し付けは避けたい(バリー・千葉・32歳)
親の価値観だけで「これはこう」と一歩的に教えていくのだけは避けたいと思ってます。塗り絵で人の顔を黄色人種の肌の色で塗らせるとか(肌色という日本語もどうかと思うのですが)……。こちらから指示をしなければ、茶色だったり、白のまま塗らなかったり、好きなように塗るんですね……。でもそれが本来の正解のような気がして。
家具の模様替えの時も、子どもの知恵を借りるまでもなかったのですが、あえて問い掛けてみました。すると、画用紙を持ってきて、家具の配置を「ここにこれを置いたらどう?」「ここに置くとドアの開閉に邪魔だよね」といったように、あれこれ考えながら何通りも描いてくれるんですね。あらためて子どもが成長していることを知りました。子どもも自分のアイデアが必要とされていることに満足気で、一生懸命に考えてくれます。
親が「これはこう」と一方的に教えてしまうのではなく、一度は自分だけで考えさせる教育は必要だと感じました。もちろん、「これはこう」と教えるより、根気と時間が何倍も必要ですが……。少子化だからこそ、お金をかける教育より、時間と気持ちをかける教育を大切にしたいと思うのです。
過剰にお膳立てしなくても(sunshine)
子どもは多かれ少なかれ、親の期待に応えようとするし、親に影響を受けると思いますが、ある段階で、自分の本当にしたいことを見つけていくのだと思います。なので、わたしは、娘のやりたいということは時間やお金が許す限り、とりあえずやらせてみます。それらは、わたしに影響されているなと思うものから、すごく意外に思うものまで、いろいろあります。子どもの好奇心は旺盛だなあと実感します。
いろいろなものにチャレンジして、その中から自分はこれだというものを見つけられたら、一番いいのではないかと思います。こちらが過剰にお膳立てをしなくても、本当に好きなことは続いていき、それが将来につながっていくのではないでしょうか?
いろいろなものに触れられる場所に連れて行く(most)
子どもには、自分の得意なこと、自信が持てることを少しでも多く身につけてほしいと思うので、いろいろな人、物に触れられるようにいろいろな場所に連れて行っています。
わたしの教育方針としては、「子ども用」「子ども向け」なところには意識して連れて行かない、そういう扱いをしない、ということ。これは、いいか悪いかはわからないのですが、自分が子どものころ、子ども向け映画や番組、キャラクターの服や靴などがばかにされているように感じたので、自分の子どもにもそうしています。

今では親に感謝
(のんちぇぷろ)
子どものころは、そろばん、習字、英会話、スイミングスクール、ピアノ、となぜか自分の意志に反していろいろなお稽古事をやっていました。「物事を中途半端でやめるな」というのが、親からの教えでしたので、親の勧めで始めたものの、「途中でやめてはいけません」と厳しく言われ、物理的に継続不可能な状態になったもの以外の習字とそろばんは、小学生の間、習い続けました。
子ども心に一番つらかったのは、スパルタ教育のそろばん塾をやめられなかったことです。次々にやめていく同級生たちをとてもうらやましく思いつつ、自分はそれを見送るばかり。
ただ、今となっては、習字とそろばんを続けたことをとってもよかったと思っています。親が興味や関心を引き出してくれた、というのとは少し違うのかなとも思いますが。もしかしたら、親にしてみれば、わたしの中にその興味や関心を見つけていたのかもしれない、とも思います。いずれにしても、感謝しています。
干渉かな?と思いつつもいろいろな刺激を与えている(mamarin・大阪・既婚・37歳)
とても難しい問題ですね。まさに「言うは易し行うは難し」です。現在10歳男児、8歳女児の親として、また、2歳から6年生までの男女児童に英語を教えている身としては、いろいろと考えさせられることばかりです。
自分の子に関していえば、長男は絵が大好きで、何にもしなくても伸び伸びとした絵を描きます。いくつかお絵描き教室のようなところにも通いましたが、本人の反応はいまひとつ。今夢中なのは、わたしの母が師事している高齢な日本画の先生。この先生の言うことなら何でも聞きますし、正座し何時間でも絵筆を握っているそうです(母からの伝え聞き)。それを思うと、わたしがしてあげられるのは、画材を買ってあげたり、描けた絵を褒めてあげたり、良質な展覧会に連れて行ってあげたりすることくらいなのです。
英語の生徒に関して言えば、とにかく彼らの一つ一つのレスポンスを集中して受け止め、真剣に反応してあげることくらいしかできません。
わたしの幼少期、親は多忙でほとんど放任でしたので、いろいろと興味があったことも見過ごされた感も否めません。わたしは音楽が大好きで、作文も得意でした。たしかに家に本はたくさんありましたし、音楽も満ち溢れていたのですが、それ以上の指導も与えてもらえたらと今になって思っているので、子どもたちには干渉かな?と思いつつもいろいろな刺激を与えている日々です。
親の不用意な発言はとても危険(nanachin・独身・27歳)
わたしはまだ子どもがいないのですが、わたしの体験。わたしは絵を描いたり物を作ったり、ということが極めて苦手なのですが、わたしの母はそういうのが得意。わたしがまだ幼稚園くらいのときに、わたしの絵を見て、「あんたほんとに才能ないねえ」と言ったのをいまだに覚えています。逆に、わたしの作文を読んだときは、「あんたはものを書く才能はあるね」と言ったのも覚えています。
その当時はそのことをあまり意識しなかったのですが、親の不用意な発言はとても危険だと思います。子どもにとって親の発言、親の存在は絶対的なもの。その親が「才能がない」と言ってしまえば、子どもはそれを認めざるを得ないでしょう。本当に才能があるかないかは、成長すればおのずからわかること。子どもが小さいときはとにかく褒めて、少しでもその子が興味を示したものに関するアイテム、情報をさりげなく提供するのがいいのかなあ、と思います。
世間体に反することはできなかった(syoshiko・東京)
昔、子どもが、芸術の道に進みたい、美術大学に進学したいと言っておりました。しかしながら、その時代は(周辺の環境もありますが)、周囲の子どもたちはみんな塾に通い、お稽古事をし、男の子は一流大学に、女の子はお嬢さん学校に……という風潮がありました。そのため、どうしても子どもの生き方を認めることができず、「絶対反対」の姿勢を貫いてしまいました。その結果、娘は普通の大学へ進学いたしました。
今考えると、どうしても心残りでなりません。せっかく持っていた興味や関心を摘み取ってしまったのではないかと。それに娘の希望通り、その道に進むこと快く認めてあげていたら、もしかしたら、今ごろもっと彼女の思い通りの生き方ができているかもしれない、という後悔の念もあります。この心配も、親ばかなのかと思いもするのですが。ちなみに現在、娘は自分に合った仕事を見つけ、忙しそうに働いており、とても充実しているようです。