

自分の絵を壊された気がした(bombom)
小学1年生のとき、写生大会で描いた絵を先生が気に入り、市のコンクールに出すからといって絵を直されました。直したのはもちろんわたしですが、細かいところを、ここは色が違うとか、もっとていねいにとか、指示されました。子どもながらにも、自分の絵を壊されている気がして、今でも印象に残ってます。わたしの絵なのに、でき上がったら先生の絵になっていた気がしました。

「他人と違う」ことを否定せず、個性を尊重する(いまいくん・埼玉・既婚・39歳)
わたしは干渉していません。幼稚園の展示などで、わが息子の絵は一目でわかりました。顔はほとんど「へのへのもへじ」みたいで色使いも少なく、良く言えば「至ってシンプル」な絵でした。家内はそれを「恥ずかしい」と感じて息子にあれこれ言っていたようですが、わたしはそれも個性だと思い、ほっておきました。わたし自身、決して絵はうまいほうではありませんでしたが、親や先生にあれこれ言われることなく、伸び伸びと描いていましたので、絵を描くことは嫌いではありませんでした。そんなわたしは今、家具やインテリアのデザインを仕事にしています。それは幼少のころ、周りの大人が「他人と違う」ことを否定しないでいてくれたおかげなのかな?と思うこともあります。子どもの絵は「こういうふうに見てるんだ」などと教えられることもあるぐらいですから、個性を大切にしたいと思います。
指導で上達した一方、個性が失われた気もする(ぷくちゃん・京都・既婚・36歳)
NOですが、あくまで気を付けているというだけで、気付かないうちに干渉しているのかもしれません。息子は幼稚園のころ、まったくといっていいほど絵を描くということに興味を示しませんでした。わたしも強要しなかったため、小学校入学当時の絵は3歳程度?のもの。しかし、授業で先生の指導を受けるようになって、見る見るうちにまともな?絵になっていきました。親としては喜ぶべきことなのかもしれませんが、何か型にはまったものになってしまったような気がして、内心残念にも思っています。
感性を共有し、技術的なことはアドバイスする(ゆみぷん)
子どもの絵は、その子の心の状態を表しています。どんなことに心を動かしたのか? 何を表したかったのか? また、出てくるものやその扱い、位置や色などで、心の中をのぞくことができます。何か言ってあげるとしたら、その子の感じたことを受け止めて、共有してあげることではないかと思います。よく、「上手」という言葉を耳にしますが、わたしは上手、下手という意識で子どもの絵に触れたことはありません。また、ほんのちょっとしたアドバイスで、より表現が豊かに出てくることもあるので(たとえば、筆の水が多すぎるために紙の上で思うように描けない、というときは、絵の具がついたままでもいいから、布に筆を軽くのせて水分を取ってあげると、紙の上で絵の具が流れないなど、大人にとっては当たり前のようでも、子どもは見逃している困難なこと)、本当はこうしたいけれどなかなかできない、と思っているところに気付いてあげることも、時には必要だと思います。
マンガの影響が自分らしさ(巽・大阪・未婚・42歳)
わたしは幼稚園のころから、マンガやアニメに影響された絵を描いていましたので、先生にも親にも「そんなに目の大きい人間がいるの?」と、言われ続けました。絵を描くのが大好きだったのでやめられず、描く時はうしろめたい気持ちで隠れるようにして描いていました。授業の時は「悪い見本」を提供するために描いているようなものでした。一度、先生が、画面を見ずに線を引いたような絵を持ってきて、「こういう絵、子どもらしくて伸び伸びしていて、先生がとっても好きな感じの絵です」と言いました。今思うと、なるほど大人が気に入りそうな絵だったと思うのですが、「あんな絵は描けない。わたしがああいう絵を描いたら逆に不自然じゃないか」とも思いました。うまい、下手はともかく、マンガやアニメの影響は避けられないものです。その影響から脱することができるのは、むしろ成長してからなのでしょう。でも、当時大人からいろいろと言われたことは、自分を知るために無駄ではなかったと思っています。わたしは今も相変わらずマンガを描いています。

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