
出会えて幸せと思える医師たち(reikot・大阪・パートナー有・33歳)
98年の冬に発病し、今もずっと同じ医師に診てもらっています。一つの診療科でカバーできないため、複数の医師が相互に連絡を取り合ってくださっているのに感謝しています。薬にしろ、検査にしろ、納得するまで説明をしてくださいます。たくさんの患者さんがいる中、わたしに対して割いてくださる時間も半端ではないのにと思いますが、「自分の体は自分で守る」ことを信条に、さまざまな質問もしますし、その都度、適切なアドバイスもいただいています。「病気になったのは不幸かもしれない。けれど、今の医師たちに出会えて幸せだ」と、ことあるごとに感じてます。
患者も受け身でなく意見する時代に(neko_wa_tama・兵庫・パートナー有・31歳)
小さい頃に誤診があって大変な思いをしたため、納得できて、自分の命を預けても良いと思えるお医者さまを、自分で探し歩き、見つけました。近所ではないお医者さまもいますが、納得し信頼しています。不安に思うことも、おかしな質問をしても、何度も同じことを聞いても真剣に取り組んでくれます。これからは、患者は受け身でなく医者に意見し、またこれに答えてくれるお医者さまを自分で探す時代だと思います。
自分で病院を選ぶべき(周・23歳)
わたしが以前、通った病院は待つのに1時間以上かかり、診察は1分以内、説明もほとんどないという信じ難い先生でした。しかし、現在は、何でも懇切丁寧に説明してくれて、専門の知識がないからと患者をないがしろにしない病院へ行っています。本当にその先生になってからは、こちらからも疑問や不安をぶつけやすいのでとても助かっています。話を聞いてくれて、素人だからと無視をしない先生がいる病院を、自分でいろいろな病院の中から選び、信頼関係をつくっていかなくてはいけないと思います。
医師の一言で調子がよくなることも(由宇湖・静岡・パートナー無・32歳)
わたしのかかりつけの病院では、どこの科もわかりやすい説明をしてくれます。もちろん、自分で選んだ病院ですが。薬についても、体のどこにどう作用し、どんな効果があり、こんな副作用の症状が出る可能性があるとか。症状が落ち着いたら、この薬をこのくらいずつ減らして様子をみてね、とか。
いつも行く町医者の先生は、胃が痛くてしばらくかかったときには、心の持ちようまでアドバイスしてくれることもありました。わからないときには気軽に聞くこともできる先生に恵まれています。うれしかったのは、病状がよくなっってきたときに「最近は、あまり来なくなりましたね。とてもいいですね。気持ちの違いも顔に出ています。この調子で僕の顔を最近見ないなあってなるくらいにしちゃいましょう」と笑顔で言われて、時には気持ちが軽くなって、さらに調子がよくなったものです。納得するまで何度も話してくれる先生って少ないですよね。
原因不明なのに薬を勧める(nord・大阪・パートナー無・34歳)
最近、初めて半日ドックを受けました。そのほかにも、いろいろと体の不具合が出ていて、通院もしてます。医師もいろいろあって、ちゃんと納得のいく説明をしてくださらないときがあります。できないという場合もあるのかもしれませんが、わたしは納得できるまで質問します。薬の処方も「原因がわからないけど、とりあえず飲んでみます?」と言われ、「原因がわからないのに、一体、何の薬を飲まされるのですか?」と尋ねると、その医師は黙ってしまわれました。その後すぐ転院をしましたが、わからないのに、薬を飲んだり治療を受けたりするのは、わたしにとっては恐ろしすぎることです。

医師・患者間のクッション的役割が必要(ジョセフィーヌ・大阪・パートナー有・38歳)
小児科医師をしています。リハビリを受ける子ども達が通う施設の医師なので、病院で医師の説明を受けた保護者の話を聞きながら、混乱した医療情報を一緒に整理し、医師の説明を理解していただけるようにお手伝いしています。時にセカンドオピニオンを求められれば答えることもあります。
保護者が医師の説明に納得できていないと見受けられる場合は、どうして納得できなかったか、感情的になっているときは、それを受け止めつつ、客観的に冷静にそれをわかりやすく別の言葉でおきかえて、保護者に返しています。そして、次に受診したときに、こんなふうに質問してみるといいですよ、とアドバイスしています。
場合によっては、主治医と直接話すこともあります。病院での説明は、時間が限られていたり、内容が難しかったりで、とりあえず聞いてはみたものの、あとで納得がいかないということはよくあることでしょう。医師と患者の間のクッション的役割の存在は、今後ますます必要であると思っています。
「納得いくまで求める」のは患者の義務と権利(sagi・カリフォルニア・パートナー有・60歳)
アメリカ在住のワーキングウーマンです。痔の手術をしましたが、医師を選ぶのに医師との直接電話面接を5人の医師に求め、答えてくれた2人の内の1人に頼みました。今、病院とのかかわりは健康維持の周期チェックがほとんどです。
現在のHMO(米国の医療保険システム)で、半年もかかって希望の専門医のアポにこぎつけました。希望の専門医はホームページの医師の経歴を見て選択。人気の高い医師らしくアポ取りは非常に難しいのですが、あきらめずに科の受け付けとのやりとりを記録し(のちの説明責任のため)、医師と事務局あてに手紙(受け取り人の受領確認をつけたもの)を3度送りやっとオーケーがでました。まるで戦いです。もちろん実際に診療を受けて、この医師が気に入らなければ変えることができます。
実際、わたしは主治医を1回変えました。医師の説明を納得がいくまで聞くという姿勢を持たねばいけないとわかったのが10年ぐらい前です。いつも自分のメモ帳を持って書き込んでいます。自分で記録している血圧表も医師に見せます。セカンドオピニオンはいつも聞くように心がけています。
医師も人間です、間違いもあるでしょう。最終的には医師の説明に疑問を持つのは自分の責任です。それは医師を疑うということではないと思います。スマートな患者としての義務でしょう。また、質問に対して冷静な答えをしてくれるのも医師としての義務でしょう。病院には「患者の権利」が壁に公示されています。わたしに与えられている患者の権利を100%主張できるようしています。
医師の言葉はずっと心に残る(りんべる・イギリス・パートナー有)
以前に日本で風邪をひいてしまい、抗生物質を処方されたことがありました。それを飲んで数十分後にアレルギー反応を起こしました。慌てて処方された病院に行き、処置を受けたのですが、その際に医師は「アレルギー反応はその物質に2度目に接した際に起きるから、うちで出す前にどこかでこの薬を服用していなかった?」とか「このタイプの抗生物質が使えないと困るねぇ」といったことを言われました。
わたしは、初めて比較的激しいアレルギー反応を起こし、ただでさえ動揺しているのに、そこへ医師は自分を守るような発言とわたしに不安を抱かせるような発言をすることに、納得いきませんでした。その言葉はずっとわたしの中でくすぶり続け、つい先日、本当にその抗生物質が使えないと困るのか別の医師に尋ねたら、「入院治療でもない限り、問題ないです」とのこと。医師の言葉は、人の心にずっと残るということを忘れてほしくありません。
知識・技術力、話し方を学ぶべき(アンヘルカーサ・東京)
ありがたいことにわたしは一人だけ信頼のおけるドクターに出会えました。しかし、多くの方が感じているように、わかりづらい説明しかできない医師が多いです。医師も人に理解してもらえるような話し方講座などを受講したほうが良いのではないでしょうか? それから開業医! 2年ごとに知識レベル判定や心肺蘇生ができるかチェックするべきです。先日、わたしの目の前で突然死した人がいますが、医師はオドオドしてしまって、心臓マッサージもろくにできませんでした。こんな医師がほとんどかと思うと怖くなります。
「優しい+易しい」言葉で(DEYOKO・イギリス・パートナー無・28歳)
医師にとっては、多くの中の患者の一人であっても、患者は、不安の中、長い時間を待ち合い室で過ごした末に医師の前にようやくたどり着くのです。体調不良なので、難しい医療用語を並べられても思考力、理解力も鈍っているので納得するのに時間を要します。優しい+易しい言葉で患者に説明していただける医師が増えることを願っています。