「……と、言われています」
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年3月29日
3月20日にアメリカを中心とする同盟軍のイラク攻撃が始まって以来、CNN、BBCと日本のテレビ局とを「はしご」する機会が多くなりました。さすがにアメリカ、イギリスのメディアは従軍記者の数は多いし、情報量も多いと思います。それに比べると、日本のテレビ報道は独自取材が少ないことに加え、ある民放などはずっと「戦争反対」という姿勢で報道しているということもあり、「報道」という観点から見ると首を傾げてしまいます。
交錯するニュース
それはともかく、今回の戦争は「情報戦」と言われるだけに、米英のメディアとカタールのアルジャジーラ(アフガン戦争でビンラディンの映像を放映して有名になったテレビ局)とではずいぶん内容が違います。イラクの情報省の発表など見ていると、まるで大本営発表かと思うほど、イラク有利という印象を受けますし、英米軍発表を聞いていると今にもバグダッドが陥落しそうな感じがします。
しかも、前線にいる記者にはその現場の状況しかわかりませんから、リポートを聞いているわれわれにも全体がどうなっているのかがよくわかりません。アルジャジーラが捕虜になった米英軍兵士の映像を流し、兵士の死体を放映して、アメリカ国内の反戦ムードを煽ろうとしたり、米メディアはそういった映像を流さないと決めたり、まるでメディアの間でも戦争をしているようなありさまです。さらには南部の都市・バスラでの攻防戦で、米英メディアは市民が反フセインで蜂起したと伝え、それに対してアルジャジーラが蜂起説を否定しています。
戦場の報道ということになると、実際には裏づけを取るのは非常にむずかしいのでしょう。しかも各メディアは、どの情報が信用できるのか吟味しつつ報道するという時間がないため、情報を垂れ流しながら「……と、言われています」と伝えざるをえないわけです。こうなってくると、わたしたち情報を受け取る側がこれをチェックするしかありません。
ニュースの落とし穴
こうしたメディアの報道を通じてしかイラクでの状況を知ることができないわたしたちには、相反する情報が流れてくると、いったいどちらを信用したらいいのか、本当のところはどこにあるのか、という疑問がわいてきます。こういった疑問は、混乱した状況だから生まれてくるのですが、実は日常的なニュースでもよくあることなのです。
有名なものには、松本サリン事件のとき、被害者である河野さんを犯人扱いした事件があります。警察の心証をうのみにしたマスコミが、いかにも彼を犯人であるかのように報道したのです。ちょっと裏付け調査をすれば、そういった過ちを犯さずに済んだはずなのに、それを怠ったマスコミの責任は重いのです。
松本サリン事件はメディアが誤った報道をしていたことが後から明らかになったケースですが、実際には明らかにならないまま、わたしたちの記憶の中に固定されていった事件も多いはずです。戦争のように、敵味方の報道が食い違う場合は、どちらを信用するかという選択肢がわたしたちにはまだ残っていますが、日常的な報道にはそのようなことはあまりありません。つまりメディアが横並びで間違えば、わたしたちも横並びで間違ってしまうのです。
だからこそ、メディアの読み方が重要になってくると思います。メディアの側にいる人間がこんなことを言うのもおかしな話ですが、メディアが意識的にうそを報道することはあまりないはずです。でも無意識的にうその報道をすることはあり得るのです。情報発信者が意図的にうそを流すこともあるからです。自分に都合のいい情報を流すケースは、決して珍しくないでしょう。
異なる視点
テレビ、新聞、雑誌、インターネットを通じて流れてくる情報から、真実の姿を読みとっていくのは、実際には非常に困難な作業ですが、重要な問題になればなるほど、いろいろな情報を総合して、分析して、自分なりの結論を導き出すことが必要です。僕がこのコラムを書くときも、みなさんに「異なる視点」をできるだけ提供するよう心がけているつもりです。たとえば、片目を閉じて見れば距離感がわかりにくくなります。だから、違った見方をするメディアがあるからこそ、そこに「立体的な実像」が見えてくるということもいえます。毎晩夜遅くまでイラク報道を見ながら、こんなことを考えています。