イラク戦争「後」
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年3月22日
とうとうアメリカはイラク攻撃を始めました。開戦直後の演説で、アメリカのブッシュ大統領は、イラクの独裁者に対する戦いであり、イラク国民および中東地域に自由と民主主義をもたらす戦いであると宣言しています。自由と民主主義をもたらすという目的はいいとしても、その手段が戦争であることに反発する人は多いでしょう。
中東の「民主主義」
それによく考えてみれば、中東地域でアメリカの友好国であるアラブの国は、ほとんど民主主義国ではないのです。サウジアラビア、クウェートは王政です。つまりアメリカのブッシュ大統領は、「自由と民主主義のために」と宣言することで、とんでもない虎の尾を踏んでしまったのかもしれません。場合によっては、サウジアラビアにも圧力をかけて、民主主義への移行を促すというのであれば立派なものですが、そこまで覚悟があるとは思えません。
中東地域で最も民主的な国は、アメリカが「悪の枢軸」と呼んだ国の一つ、イランでしょう。イランはアメリカが支援するパーレビ政権がイスラム革命によって打倒され、対米関係が悪化しました。テヘランの米大使館占拠事件などがあり、アメリカは敵視していますが、現在の政権は選挙によって選ばれたものです。もしアメリカが民主主義を広めることを自分の使命と考えるなら、イランとの関係改善には当然取り組まなければならないはずです。このあたりのアメリカのダブル・スタンダードが本当に解消されるのかどうかは、イラク戦争後を見る重要なポイントの一つです。
さらにもう一つのダブル・スタンダードはイスラエル・パレスチナ問題です。アメリカが国連安全保障理事会決議違反をイラク攻撃の理由とするなら、イスラエルの「違反」をなぜ放置するのかという疑問がわきます。友好国だから放置し、敵対国だから攻撃するというのでは、唯一の超大国としての「道義」がけがれます。
「超大国のエゴ」か、「大義ある戦い」か
今回のイラク攻撃は、アメリカの「自衛戦争」ということなのですが、最後のより所はこの「道義」です。ここでアメリカがどの程度一貫した姿勢を持てるかどうかで、21世紀の在り方が大きく左右されるような気がします。なぜなら20世紀の戦争とは、国益と国益のぶつかり合いでした。そこには道義というものが影を潜めていました。アメリカの苦い思い出になっているベトナム戦争でも、共産主義の拡大を防ぐという論理のもとに、ベトナムの軍事独裁政権と手を組む(つまりは自由を守る戦いという大義を汚した)という失敗を犯したのです。
だから長い間アメリカのトラウマとなっていたのです(トラウマがいかにひどかったのかは、ベトナム戦争を描いた映画の多さや内容を見ればわかります)。そのトラウマをいやしてくれたのは、湾岸戦争です。あれはどう見ても「正義の戦い」であり、アメリカは国内的にも国際的にも圧倒的に支持されました(劣化ウラン弾などの問題は残っていますが)。だから湾岸戦争に勝利した後、アメリカはあれほど喜んだのです。
今回のイラク戦争が果たして「大義ある戦い」になるのか、それとも単なる「超大国のエゴ」なのか、それは戦後の処理を見なければ判定できないかもしれません。もちろん「大義ある戦い」でも戦争にはとにかく反対だという人にとっては、歴史の判定を待つまでもなく結論は明らかですが。
東アジアという第二幕
それにしても隣国のクウェートに侵攻するという、現代では考えられない非道なことを実行したサダム・フセインという男がなぜ今でもイラクの支配者であるのか、ということは大きな疑問です。イラク国民にとっては極めて大きな誤算をもたらした指導者であり、しかもあの由緒のある国をかれこれ20年間も戦争状態に置いている指導者なのです。それでも政権の座にあるということ自体、不思議というほかありません。それが独裁者であるゆえんですが、それでも普通なら軍によるクーデターがあってもおかしくないのです。そういったことを考えると、僕自身はアメリカが攻撃するのも理解できる気がするし、これがフランスだったとしたら、査察を継続して本当に大量破壊兵器を完全に破棄できたのかどうかと疑問にすら思います。もし国連がそれをできるなら、なぜ12年間もできなかったのかという疑問があるからです。
日本がこの戦争を支持する考え方を示したのは、北朝鮮問題があるということが大きな理由の一つです。北朝鮮の金正日総書記は、フセイン大統領と同じく、対話のできない相手であるからです。しかもフセインと同じように、自分の武力を背景に交渉しようという、いわば「時代遅れ」の感覚の持ち主です。この北朝鮮にどう対処するのか、われわれ自身の姿勢が問われる時がもうすぐ来るでしょう。