田中さん、独演ばかりしていると……
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2002年7月20日
田中康夫さんが長野県の県議会から不信任案をつきつけられて、「失職」し改めて知事選に出馬する意向を表明しました。県会議員のほうは、田中康夫さんの政治スタイルを問題にしたかったようなのですが、結局、この騒動は「脱ダム知事」対「土建利権の県議」という形になってしまったために、田中康夫さんの支持率は60%を超えています。この状態で知事選を行えば、たぶん田中康夫さんが勝つでしょう。
政治的な手法から言えば、これは田中康夫さんの圧勝なのです。イメージ戦略で旧来の利権構造を打破しようとした知事を、県議が寄ってたかっていじめているように受け取られているからなのです。私自身は必ずしも県議による「いじめ」とは思いませんが、大方の人はそう見ているのではないでしょうか。
国の首相とは違って、知事は有権者の直接投票で選ばれています。アメリカの大統領のようなものなのですが、だからといって議会を軽視していいわけではありません。議員も有権者の投票で選ばれているからです。どちらが民意を反映しているのか、これは一概に論ずることはできません。一口に「民意」といってもそれは多様であるのが普通だし、「脱ダム」かどうかで政治ができるわけでもないからです。
普通ならもっといろいろ政治的なアジェンダがあるはずなのです。それを「無駄なダム」問題にしてしまったのは、おそらく田中康夫さんの作戦であったのでしょう。かっこよく言えば、長野県の公共事業依存体質の象徴的な問題として取り上げたということになるのでしょうが、どうもパフォーマンス(たとえば知事室をガラス張りにして県庁舎の1階に置くとか)ばかりが目立つ感じで、私などは好きになれません。
本来なら、ここで長野県民の意思をもう一度問うのがまっとうではないのでしょうか。つまり県議会を解散して選挙をやってもらうのです。もっともその場合、政党を背景にもたない田中康夫さんの応援勢力が県議会で多数派を占める可能性はありません。知事を支持する人たちが選挙に立つとしても、時間も準備もお金も足りないでしょう。だから田中康夫さんは、知事職を失う道を選び、再び立候補して「民意を問う」形にしたわけです。早い話がこれなら「勝てる」からです。
田中さんがもう一度知事になったら、それこそ今までにも増して「独演」ぶりが目立つことになるでしょう。なぜなら県議会と真っ向から対立して、なおかつ有権者は知事を支持したという「お墨付き」、もっといえば「葵の紋の印籠」を手に入れるからです。県議会も今までのようには抵抗できないかもしれません。
でも田中康夫さんが「改革派」であるとしても、行政的な手腕がどれほどあるのかというのは、少なくともこれまでの実績からいえば「未知数」なのです。三重県の北川知事は、行政評価システムによって県民が行政を評価し、その評価によって行政を変えていくというやり方を確立しました。県政というある意味で地に足のついた政治の場面では、このような地道なやり方が必要だとも思います。
外務大臣をクビになった田中真紀子さんは、「改革」の旗印を掲げながらも、その強引な手法がたたって、外務官僚の中にシンパをつくることもできず、結局は足をすくわれてしまいました。新潟の田中さんがこけても、長野の田中さんがこけるとは限りませんが、果たして長野の知事対県議会のバトルロイヤル第2ラウンドはどうなるのか、野次馬的な興味はつきません。でももし私の地元で彼が立候補したら、私は田中さんに票は入れないだろうと思います。