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サーベイ

2002/7/8(月) - 2002/7/12(金)
3日め

テーマドナー登録考えたことありますか?

今日のポイント

リスクを冒しても人に臓器を提供する覚悟がありますか?

投票結果 現在の投票結果 y81 n19 これまでの投票結果の推移
凡例
キャスター
高橋陽子
高橋陽子 日本フィランソロピー協会

まるやままゆみさんのように、「私は自分の身体だけで命をまっとうしたいです」という人や、miyacoさんや職業指導官さんのように、死んで燃やすなら役に立ちたい、など本当に、どちらももっともだ、という気持……

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これまでに届いているメンバーからの投稿

YES

役に立つのなら、それもいい(miyaco)

知人に腎臓移植を受けた人がいます。透析にしばられる毎日から抜け出し、旅行や結婚など「平凡」をたくさん体感しました。残念ながら長生きはできなかったけど、移植が彼女の人生を豊かにしたと信じています。彼女は母親の片腎を移植したので、見ず知らずの誰かの死後、臓器をもらったというわけではありません。だけどわたしは、極端に言ってしまえば、死後燃やされるだけのわたしの体で、誰かの人生に役に立つなら、それもいいと思っています。丁寧に弔ってもらうことに、それほどの価値は感じないからです。家族にも「これがわたしの選んだ道」と伝え、ドナー登録をしています。生死を人間がオペレートするのは、たしかに不遜な行為かもしれません。「自分」は死んでいるのに、「臓器」は生きてるのは怖い、という気もします。迷いが払拭できているわけではありません。でも、彼女の「今度結婚するの」と言った時の笑顔を思うと、今の登録を取り消す気にはなりません。

全然、抵抗ありません(まんた)

どうするのか、手順がいまいちわかんないんですよね。自分が死んだ後でも、どなたかのお役にたてるなんて……とても素敵なことに思います。苦しんでいる方々がたくさんいらっしゃるんですから。

使えるところは、全部使ってください(職業指導官・大阪・既婚・37歳)

死んで燃やしてしまうだけ。それなら、できるだけ利用してほしい。家族にもいちおう了解は取っているが、はたして夫や、まだ小さい子どもたちがどれだけ理解してくれていることやら。

NO

人の死を待つということ(なっちっち)

わたしは「臓器を提供しない」ことを示すためにドナーカードを持ち歩いています。たしかに臓器移植で助かる命があるかもしれませんが、そこまですることが許されるのかわかりません。他人の死を待ち望むということが、どうしても納得できません。

ドナー提供者の遺族に対するケアは?(usausarabbit)

かつて、「死んだ後でも誰かの役に立てるなら、提供するべき」と思って、ドナーカードを手に入れたことがあります。ですが、臓器を提供することになると、まるで新鮮な臓器の入れ物のような扱いを受け、挙句、火葬まで勝手にされてしまう、ということを聞き、(本当かどうかはわかりませんが、ありえそうな話なので)考えてしまいました。もし今、わたしが不慮の事故で死んでしまい、臓器を提供することになった時、両親はろくに死に顔も見れないで骨になったわたしを見て、ますます悲しむのではないか、と思うと安易に臓器を提供する気にはなれません。また、自分の家族がそのような扱いを受けるのもイヤです。ドナー提供者の遺族に対するケアって、どうなっているんでしょうか?

OTHERS

提供したいけれど、されたくない(まるやままゆみ)

子どもが大病をしたことで、さまざまな病気と闘っている人たちとの出会いがありました。だから、必要性についても十分考え、臓器提供意思表示カードは携帯しています。でも、もし自分が提供される側になったとしたら、わたしは自分の身体だけで、命をまっとうしたいです。提供することと、提供されることは、また別ですね。

家族の反対の前に尻込み(みかげ・神奈川・既婚・27歳)

ドナー登録をしたいと思い、臓器提供意思表示カードを入手。けれど、家族の反対にあい、記入しないまま持っています。わたしは、万一の時に自分の体が役に立つのなら使ってもらいたいと思っています。けれど、家族はわたしの体が刻まれるのは耐え難いというのです。家族に万一のことがあった時、当人が自分の臓器提供を望むのなら、わたしは本人の意思を尊重したいと思います。自分の善意が家族を悲しませることもあることを考えたうえで、今後も家族と話し合っていこうと思っています。

生きている間のお手伝いなら(ぐーすか)

生きている間なら、できるだけのお手伝いはしたいと思って、骨髄バンクのドナー登録はしました。でも臓器提供はまだOKしていません。死んだ後に残される人が決めてくれていいんだけどなー、と思います。後始末までつける覚悟は今はないですね。

子どもが小さいうちは提供を受けてでも生きていたい(来夏・既婚)

受精卵などを利用して作られるES細胞から人間のいろいろな臓器を複製する研究が進んでいますね。もしそれが可能になったらドナーによる臓器提供の議論はなくなる? 臓器提供には肯定派ですが、今後、病気の人間を救うのが将来一個の人間を創造する受精卵だということになれば大いに疑問を感じます。老いるものが死に、新しい生命を生み出すのが遺伝子の本来の姿なのに。たとえば母は子どものために命を投じるけれど、逆は考えられないのと同じことだと思うのですが。

昨日までのみなさんの投稿を読んで

「死」の一人称、二人称

まるやままゆみさんのように、「私は自分の身体だけで命をまっとうしたいです」という人や、miyacoさんや職業指導官さんのように、死んで燃やすなら役に立ちたい、など本当に、どちらももっともだ、という気持ちになりますね。

その人の死生観はどうやって形成されるのでしょうね。ひとつ言えることは、自分の臓器提供よりは、家族のそれのほうが受け入れがたい、ということはありそうです。自分の死は一人称と言われます。自分の死は自分で見ることはないので、案外、理性的に突き放して考えられるようです。それに対して家族の死は二人称と言われます。かけがえのない人を失うという悲哀の対象だからです。ですから死も、脳死では納得がいかず、実質的な死と、死を現実のものとして納得して受け入れるには、時間的なずれが生じるということなのでしょう。

臓器提供と言っても、それ以前の骨髄から腎臓、脳死による眼や肺・肝臓・心臓提供などとはまた、考えるあるいは感じるレベルが違うのでしょうが、家族のほうが決断がシンドイとなるとご本人が決断をしておいて、家族は遺志を尊重する、ということで納得するのがスムーズにいくことでしょうね。

ただ、usausarabbitさんがおっしゃるように、遺族に対するケアに配慮を欠くということは、ありがちかもしれません。インフォームド・コンセントも同じですが、臓器提供もまだまだ日本に文化的に定着していないものを、現象だけ取り入れているところがあるので、非常に配慮のない本質を見失っている場面が多くあります。
医学部の教育では、技術の教育と同時に、人間の心も看る力を養うことに力をいれてほしいものですね。

高橋陽子

高橋陽子

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