
利便性の名のもとに管理社会が作られる(Jayster・東京・パートナー無・25歳)
利便性とコストについて、とのことですが、ここでいう「利便性」とは私たち国民にとって住民票がとりやすくなるという利便性である以上に、公的機関にとって、国民一人一人を一元管理するための利便性であるという気がします。今まで、「縦割り」と批判されてきた行政のありかたを、システムの導入によって「ナレッジマネジメント」しよう、という意識が根底にあるのではないでしょうか。これは、企業経営の観点からいえば、より効率的で素晴らしいシステムなのでしょうが、企業と国家とは違うと思います。「国家による国民の管理・統制」ということが孕んでいる政治思想に対する認識があまりに甘いのではないでしょうか。今週の投稿では、個人情報が「第三者に」流れることを懸念するものが多かった印象ですが、私はそれよりも、国家が利便性の名のもとに高度な管理社会を作り上げていくことのほうが恐ろしい気がします。名作「時計じかけのオレンジ」や「1984」の世界ではありませんが……。
もっとお金をかけるべき社会事業があったのでは(hinaneko・東京・パートナー有・30歳)
住基ネットには加入していますが、今まで利用したことはありません。利便性に対するコストということをいえば、決して投資に見合ったバリューは生み出されていないと思います。IT立国、ユビキタス社会、などの流行のキーワードにのって多額の税金を投入してしまったプロジェクトですが、本当はもっとお金をかけるべき社会事業があったのではないか、と思うこともあります。
慌てて導入してしまうから(mira220・神奈川)
現状の住基ネットのシステムそのものを見直し、停止してほしいと思っているので、「今のままなら個人の離脱を認めてほしい」です。それよりも、システムを導入すると決定するまでの論議が足りない。運営する人、使う人の知識も情報も足りない。なんだってこんなに慌てて導入しちゃうのでしょうか? 利便性とリスクを秤にかけて、ハードもソフトも整って、皆の合意を得るまでは、これまでの方法でいいじゃないかと思います。公的な事業は「一度決めたら変えられない」(干拓事業など)と言う割に「決めるまで熟慮しない、拙速」というのが私の感想です。慌てて導入した事への住民側の対処のひとつが「個人の離脱」であって、「離脱そのものを認めるか否か」は問題の根幹ではないと思います。
兄弟の番号がわかるなんて(naomisan・東京・パートナー無・45歳)
住基ネットは戸籍謄本の代わりぐらいになるのかと思っていたらなんの証明の効力もないんですね。それにコードが送られてきた際、同居の兄と同じ欄に書いてありお互いの番号がわかるようになっていました。それもおかしなものだと思います。兄弟の仲が悪かったらどうするのかしら? と、よく友達と冗談で話をしています。2時間ドラマでも兄弟で財産争いなどする場面が出てきますよね。個人情報が云々されている昨今、まさしく時代にあっていない!