

野次馬根性がある限り仕方ない(aikoda・東京・既婚・28歳)
野次馬の好奇心を満たすために、人のプライバシーやプライドをめちゃくちゃにしている今の報道は規制されるべきだと思います。そんな報道のために苦しんでいる人がどれだけいることか。昔の日本のように、知らされないことによって国民全体が間違った方向に誘導されてしまったり、政治家の隠れ蓑になってしまうような法律では、たしかに困ると思いますが、報道により人生や家族をつぶされる人をなくすことが最優先されるべきだと思います。「メディアに自浄能力はないのか。法律で縛るべきなのか」と、おっしゃっていますが、正直無理だと思います。ジャーナリストも最初は志は高くても、競争をしているうちに次第になりふり構わなくなっていく方が多いのではないでしょうか。
マスコミのやっていることのほうがよっぽど暴力的(hamaiso)
「個人情報保護法案」「人権擁護法案」の話になると、マスコミ関係者は目の色を変えて「反対、反対」と唱えるが、この法案にはマスコミ規制だけではなく、IT化が進んだ世の中で、個人情報がインターネットなどを通じて不特定多数の人に漏れることを防止する意味合いもあるはず。反対運動の先頭に立っているS・T氏が、自身の番組で法案作成に当たっていた学者にもきつく当たっていたが、学者の方も初めはメディアを規制する意図はなく、IT化による個人情報保護を念頭において作成したものを、霞ヶ関のほうで曲解された、という言い分があったようなことを別のメディアで語っていたようだ。また、マスコミは「自主規制している」というが、たとえば少年犯罪が起こった時、犯人の家や家族にはモザイクがかかるのに、被害者の家族や家の外観は平気で映す。家族構成や両親の職業までも報道する。加害者の人権ばかり守られているような報道はおかしい。右翼・左翼という区別をするのはよくないことであるかもしれないが、国家観や歴史観のような議論の時も、「日本は悪い」という発言ばかりで、良いところがひとつもないような感じを受ける。これだけ好きなことが言えて、食べ物や着るものにも不自由しない国に住んでいるのは幸せなことだし、これを「良い国」と思わなかったら、アフガンやその他の貧困にあえぐ国に失礼だろう。
権力の介入を招いたマスコミにも責任が(MANAMI・東京・既婚・38歳)
マスコミも、個人に対して時には「横暴な権力」となっている現実があります。本来であれば、きちんとした自主規制の枠をマスコミ自身が作って、それを守っていくべきなのだと思います。でも、いろいろと批判を受ける場面があっても、結局、何もできていない。そうである以上、ある程度の規制がかけられるのもやむをえない気がします。マスコミも法律の成立反対を唱えるだけでなく、自分たちに何ができるのかをきちんと示すべきだと思います。もっとも、マスコミも酷いけれど、日本政府や官僚のほうがましだとも思えないのもたしかなのですが……。

不安です(umita・東京・既婚・52歳)
良い情報ばかりが流されるわけではないメディアですが、最近のニュース番組で本当にいろいろな立場や意見の方々が、いろんな意見を戦わせている。その中で、誰の意見が本当に正しいことなのか、本当の今の日本の状況など、選ぶのは自分だし、選択肢はたくさん提供されている。保護という名のもとに知る権利を取り上げて何をしようとしているのか! 何も知らされないままに日本はどこへ行こうとしているのか? 本当に不安です。主婦だって反対だと声を出すこと。それが今こそ必要だと思います。
一応は「NO」です(kazpon・東京・未婚・45歳)
まったくの「NO」ではないのです。マスコミが全面的に信じられないから(中には興味本位で責任感のないタブロイド的な記事を書く所もあるでしょ?)。でも、今の政府の抱えている問題を一般市民に伝える、または不正を暴くことは必要です。そうでなければ臭いものに蓋で、何度も同じことがくり返されてしまいます。わたしたちが興味を持って、ちゃんと「見ているぞ! 」という姿勢を示す意味で、規制されるべきではない。と、思います。
自主自律できない者は(巽・大阪・未婚・41歳)
有事立法と同じく、「こんな状況だから制定もやむを得ない」と思わされてしまうのが一番怖いです。自律できない者は自由を制限されても仕方がない、というのも正直な気持ちです(報道被害者はもっと切実にそう思っておられるでしょう)。が、個人情報保護法は金融、通信業者などが大量の顧客名簿を第三者に売買することや、インターネット犯罪など現行の法律では処罰できないと言われている行為を取り締まるために作られるのではなかったのでしょうか。それは急務だと思うのです。一方、メディア規制法ですが、政府が自らの腐敗を正しもせず「お金が足りないから福祉の縮小と増税をします」というのと、マスメディアが視聴率、売上競争のために、個人への行き過ぎた取材を省みもせず「表現の自由を脅かすのには反対」と主張するのとは同じような身勝手さを感じます。政府には権力があり、マスメディアには権威があります。牛肉の不当表示をした業者は報道により消費者からの制裁を受けましたが、報道をする者は何によって制裁を受けることができるでしょうか。情報を伝えてくれる報道機関は国民にとって必要なものです。規制されるような存在であっては困るのです。
国民とマスコミの健全な関係(コアントロー・既婚・37歳)
マスコミが時の権力によって規制されるべきではないと思います。が、そうされても仕方がないような個人のプライバシーを考えない報道合戦。しかしそういう報道合戦は、視聴率を気にしての行動なんですよね。そうするとマスコミの行き過ぎた行動は、国民一人ひとりが要求しているものということになります。マスコミが個人のプライバシーを無視した報道をすれば、視聴者がそのマスコミを無視すればいいことです。メディアに自浄能力はあるべきだし、それをより発揮できるように協力するのが、国民の役目です。それが健全なマスコミと国民の関係のように思います。
今のメディアに説得力なしだが(けろろん・北海道・既婚・33歳)
いろいろ言われてますが、今のマスコミのあり方だけに絞って見ると、規制法反対の説得力はありません。スキャンダル報道、ゆきすぎた取材を見るたび「言論の自由」が、結局TV・出版社などの金儲けのための錦の御旗に使われている気がします。タレントでも政治家でも、さんざんこぞって持ち上げて部数や視聴率を稼いだあと、今度はスキャンダルを根堀・葉堀して、たたいてまた稼ぐ。この論理的矛盾を考えるに、マスコミにはもううんざり。事件全体の、「都合のいい」1ピースだけを取り上げて、流すことだって簡単なことです。マスコミが権力に立ち向かえたのは昔の時代のこと。最近はマスコミ自身が巨大な権力になってしまったことを気がついていない、あるいは気づかないふりをしてると思います。わたし自身は、まだまだマスコミにも良心があると信じていたいです。少数かもしれませんが、気概を持ってがんばっている人たちに期待したいと思います。

誰がための法律か(八雲)
「マスメディア」という人のプライバシーやプライドを食い物にしかねない猛獣を倒すには、それ以上に立ち向かえる怪物が必要なのかもしれません。ホッブズは国家権力を暴れ出す恐ろしい怪物「リヴァイアサン」に例えましたが、これがそうかもしれません。連れ出したその怪物を止めるためには、暴れ出した猛獣をわれわれの友となる益獣に戻すのが一番よいのではないでしょうか? マスメディアがお客さまとするわたしたちが、スキャンダルジャーナリズムに対して「NO」を唱和しないかぎり、その道も閉ざされる可能性があります。しかしながら真実を明白にする報道は欠かすことには耐えられません。はたしてこれらに調和はとれないのでしょうか。せっかく国家権力という怪物を制する鎖である憲法がねじ曲げられた解釈により、こんな法律を生んでしまい、何が真実の「言論の自由の保証」かわからなくなっています。今こそわたしたち自身が誰のための法律、誰のための政治かを改めて問いなおすべき正念場なのかもしれません。

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