
私という芯の周りにたくさんの色が(ちはぴょん・東京・パートナー有・32歳)
演ずるすべてが、本当の自分だと思います。家族以外と接するときよくテンションを上げて話すことがあります。人は明るい人という印象をもちます。けれど、それだけが自分ではなく、一人うじうじ部屋で考えたり、暗くなったり、そういうのも自分。でもテンションをあげられるのも自分。私はAB型でよく二重人格といわれがちですが、実際は二重ではなく、人それぞれに少しずつ違う印象をあたえているので、多重? なのかと思うこともあります。私という芯がありその周りにたくさんの色があるということなのだと思っています。
ファーストフード店の経験で得た笑顔(stardust・パートナー有)
ファーストフードでアルバイトをしていた時のこと。いつも笑顔、どんなときでも笑顔、笑顔、笑顔……。そのコツは、「女優になったつもりで笑顔を演じる」ということでした。つまり、笑顔が素敵な親切な店員さんが私の「役」です。役を演じるという感覚、おおげさにいうとテクニックを身につけると、自分自身の感情に流されることなく、笑顔を作ることができます。子どもの頃から無愛想だと言われつづけてきた私が、お客さまから笑顔を誉められるまでに成長しました。この訓練のおかげで、日常生活の中でも笑顔を演じることができるようになりました。はじめのうちは、作り笑いをしている自分が馬鹿らしく思えることもありましたが、いまでは自然に笑顔がでるようになりました。理想の自分、なりたい自分に近づくために、演じることは第一歩だと思います。
素で接すると、相手の態度も変わる(aim↑・30歳)
服装で「今○○モード」と自分を奮い立たす時はもちろん、意識的ではないけれど、日々、多分演じています。一歩外に出ると、小さい頃から「いつも元気な○○ちゃん」と言われていたように、明朗快活な自分、好きな人の前でもいつも明るい自分を。最近、そんな自分に違和感を持ち、いつも元気な私はやってられないと、素で勝負してみるのですが、相手も変わってくるし、すべて素で接する事がいいのか? とまで考え込んでしまいます。また、ここでこうしたらカワイイのではないかという時に、もろ素で演じられない自分もいます。
理想と現実のギャップに悩む(華鏡・兵庫・パートナー有・37歳)
はい! しかし、目指す方向性と現在の「わたし」が一致しているかというと、必ずしもそうではないところが、悩ましいのですが。周囲が期待している「わたし」を演じているほうが楽なんです。体力や気力がなくてそれを演じられないときには、表舞台に出ないとか。皆、そうなんじゃないのかなあ……。
職場では「花のような人」(のむ姉)
ずばり、演じています。その時の立場ごとにわたしを演じている気がします。演じることで、苦手だと思いこんでいたことを簡単に実行できたり、演じていない時の自分では気づかないような所にアンテナを張ることができたりします。それに、演じることで自分の気持ちもコントロールできますね。私は職場の人に「いつもにこにこしてて花のような人」と言われた言葉がうれしくて、(一回だけですが)、職場でのわたしは「花のような人」を演じているつもりです。本当の私は、人見知りが激しくて、無愛想で、気がきかなくて、だらっとしてて……なのですが、「花のような人」を演じている間は気さくで、にこにこしていられます。無理をしてにこにこしているとしたらつらいと思うのですが、「花のような人」を演じている間は無理じゃないのが不思議ですね。社内、社外、他部署の方などいろいろな人との交流を楽しんでいて、顔を覚えてもらえるので仕事もしやすくなるし、ちょっとした雑談をする相手がたくさんいるので気軽に気分転換でき、仕事もはかどっています。
「こんな自分は嫌い」と思うことはしない(nons331・静岡・パートナー有・33歳)
毎朝、化粧をすると気合が入ります。しない日はだらけてしまう。私は自分が大好きなので、「こんな風にしている自分は嫌いだ」と、思うような事はしない! これってやっぱり「わたしを演じる」ことだと思う。