

社会生活の中で学んだことが生かせる(春菜・埼玉・未婚・30歳)
大学時代の4年間、クラブ活動を利用して池坊を習っていました。非常に多忙でゆとりのない生活を送る中、お花を生けているうちにだんだんと心が静かになり、ゆとりを取り戻せることを感じました。心の乱れは生け方に表れますが、逆に、生けることによって落ち着きを得られることは、当時のわたしにとって貴重なひと時でした。また、ほんの少しの空間の取り方や枝の長さの違いで、出来上がりの美しさが大きく違うことを実感し、それを意識できるようになったことで、バランス感覚が身に付いたと思います。この感覚は、自分を律して生きていくためにも、社会の中で人間関係を保っていくためにも、広く応用できているように感じています。
自分のイメージアップになる(smilee)
かれこれ10年近く習っています。生け方はもちろん、作法や風習のようなものも習っている感じです。お茶や着付けも同じですね。特別よかったと感じたことはないですが、単純に知識として身に付いたと思います。周りの人に対して、お花を習っていることは自分のイメージアップになっていると思うことがあります。
入院を機に始めた生け花は心の蓄え(Sayuri・大阪・39歳)
7年前、突然入院し、手術をすることになり、それまでひたすら生活のすべてだった仕事を2カ月間休んだとき、自分に何もないと感じられて、生け花を習い始めました。お花をやり始めてよかったことは、自然に花が咲いている姿に目がいくようになったこと。そしてお花を通して季節の移り変わりを感じることができるようになったことです。そして何よりも、仕事以外のことを考える時間ができたことです。それまでは持っている心の貯金をはき出すだけのように感じていた生活に、蓄えるものができたような気がします。それが結局仕事にもいい結果をもたらしています。
「自由花」に抵抗がある(ぷーこ姫)
一種生けや一輪で「間」を決めるなど、生け花は日本人にしかできないものだと自信を持って言えますが、今わたしが生け花をやめているのは、こういった生け花の良さではなく、若い人たちが来ないからと、「自由花」という、小手先の洋モノを取り入れているからです。何だかポリシーがないように感じられ、今は行っていません。わたしはフラワーデザインも習っているのですが、生け花で教えてもらう「自由花」と呼ばれるものに抵抗を感じます。
自分の生けた花で自分の結納を飾った(Leo)
偶然にも、お花のおけいこの日が結納の日だったので、自分の生けた花で、部屋を飾れてうれしかった。
生け花は生けた人の分身(hidy・神奈川・既婚・40代)
大学生のころ、油絵を描いていたのですが、「生」のものを扱いたくなり、あまり「型」にはまらない流派を選び、6年間習いました。4年目ぐらいからのめり込み、本部での「30歳以下のための生け花教室」にも通いました。全国各地から月1回通ってくる人たちがいることにまず驚き、さまざまな素材を使った作品を目にして、生活の中のすべてが、素材になることを学びました。現在、夫が実家から「何かになるだろう」と持ってきた外灯用の透明ガラスの電灯カバーをつり下げて花瓶とし、アイビーをしたたらせて楽しんでいます。仙台の先生からは、「ただ漫然と生けない」ということを教わりましたが、それを肌で感じるようになったのは、自分が生けなくなってからです。駅のディスプレーや子どもの学校の文化祭などで「気」が込められた作品に出会うと、しばし足を止めて見入ってしまいます。生けられた花は、生けた人の分身なのでしょうね。
時間と対峙する感覚がある(summerstar・東京・未婚・32歳)
中学校のクラブ活動でやったことがあります。週一回だけでしたが(それもお茶と毎月交代で)。お花を生けるというのは、花に向き合うだけでなく、時間と対峙するような感覚があるような気がします。花と向き合っている時間だけでなく、花を飾ったあとの空間までを味わうような。せわしい今の生活で花をゆっくり生けるというのはわたしにはリアリティがないです(それは必要性がないからかな?)。でもだからこそ、そういう時間を無理にでも作ったほうがいいのかも、と思いました。
花と向き合った瞬間、すべてを忘れることができる(kechu・佐賀・既婚・31歳)
草月流を10年ほど習っています。わたしから生け花を取ってしまったら何も残らないというほど大好きです。仕事や家事で心底疲れていても、花と向き合った瞬間、すべてを忘れてしまうことができます。花の中でもユリ系の花が大好きで、何かを達成できた時は自分へのご褒美にたくさんカサブランカを買って、部屋中に飾ります。自分の生けた花たちに囲まれて、お気に入りのカップで紅茶を飲む! サイコーのひとときです。
生け花と祖母の思い出(みぽりん)
生け花の先生をしていた祖母が生前の頃、数回習っていたことがあります。おもしろいなと思い始めた矢先にわたしが忙しくなって行かなくなってしまい、もったいないことをしたと思っています。あのころ、わたしが両手じゃないとはさみを入れられなかった硬い枝を、片手で軽々とパチンと切っていた祖母は80歳近く。芸術的センスもさることながら、力もいるものだ、と思った瞬間でした。
環境になじめなかった(ゆみぷん)
とある流派で習ったことがあります。来ていらっしゃるマダム方の、社会人としての常識のなさ、村社会体質、半強制的集団行動があまりにも居心地悪く、それなら自分で本を読んでやってみたほうがいいや、という感じでやめてしまいました。美しいものは好きなので、今もお花の本などはよく見ます。
習っていたがお金がかかりすぎる(里穂・中部・37歳)
昔、母に勧められて習いました。でも免状をもらって作品を出してとやっているうちにお金がかさむようになりやめてしまいました。どの習いごとでもそうでしょうが出費がかかりすぎるような気がします。花代だけでもお金がかかります。

習えば自己満足の世界も広がる?(marine722)
生け花は、ある意味自己満足の世界かな、と思っています。生け方や決まった形に沿って生けたとしても、そこにはやはり、生ける人の感性が入るし、生けた人が表現する「美」が形になり、生け花の存在が生きてくると思います。まだ我流でしか花を生けたことがないので、いつも自己中の「美」の表現しかできません。花は、香り、色、姿にとても癒されるものです。おけいこすればもっと気楽に生けることができ、自己満足の世界ももっと広がるのかもしれません。
花への心配りができる自分でありたい(はせどん)
生け花を習ったことはありませんが、ガーデニングには凝っています。緑のある生活がどうのこうの……といった格好いいものではありません。水やりめんどくさいなと思いつつも、枯らした時のショックを思い出して、枯らさないように必死で世話をしてる自分に、まだ自分以外のものに時間と気持ちを割けるのだと、安心していたいからではないか、と思っています。
現代の生け花を創作してほしい(marco302・東京・未婚・31歳)
生け花といえば、花嫁修業……それは一昔前のこと。今では「癒し」の一つの方法として活用されているのではないでしょうか。町にはおしゃれなお花屋さんが増え、お花の値段も以前より断然安くなっています。「お花を習う」という形式ばったこともいいですが、何よりも「自然を感じる」ということが一番ではないでしょうか。その延長線上に生け花があるように思います。今まで生け花は「しつけ」の一つでしたが、文化を大切にしながら少しずつ形態を変え、現代に合った生け花を創作していってもらいたいものです。

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