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第10回(1) 2006/01/17
中東問題とは何か
【 happykingさん(東京都/会社員/34歳/女性)からのギモン】
パレスチナ問題は、何が原因で、どういう経緯をたどってきたのですか? また、この問題が世界や日本に与える影響も教えてください。
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中東問題とは何か
イスラエルのシャロン首相が、新年早々の1月4日、脳内出血で倒れました。一時は重体となり、その後、回復傾向にはありますが、政界への復帰は絶望的と見られています。中東問題には質問もいただいていますので、今回は、そもそも中東問題とは何か、という話をいたしましょう。
強硬派が和平派になる歴史
中東のイスラエルでは、対パレスチナ強硬派が、その強硬な姿勢が国民に支持されて首相になるものの、やがて和平推進派へと立場を変える、という繰り返しが続いています。今回病に倒れたアリエル・シャロン首相も、もともとは対パレスチナの強硬派でした。
かつてはイスラエルの国防相として、隣国レバノンへの侵攻を指揮し、その際、パレスチナ難民が大量虐殺されるのを黙認したとして、国防相を解任されたほどで、当時は「殺し屋シャロン」と呼ばれたこともあります。2001年には、それまでの労働党政権がパレスチナ側に弱腰であると批判して政権をとりました。
また、首相就任後も、パレスチナ過激派組織のハマスの指導者の暗殺作戦を実行しました。イスラエル軍を使って、ハマスの指導者を次々に暗殺していったのです。
しかし、この強硬姿勢はパレスチナ側の反発を招き、泥沼の報復合戦になってしまいました。国民の間から和平を求める声が高まり、去年の夏には、右派の反対を押し切って、イスラエルが占領していたガザ地区からの撤退に踏切りました。強硬派から一転して和平の推進に方向転換したのです。これがきっかけとなって、中東和平への機運が高まっていました。
いったんは強硬な姿勢が評価されて首相に選ばれるものの、強硬な姿勢をとると泥沼の争いになり、結局、和平を模索する。これが、過去のイスラエルの歴代首相のパターンでした。シャロン首相も、同じコースをたどったのです。
また、シャロン首相は、自らが属していた右派政党のリクードから脱退し、中道の新党である「カディマ」を最近結成したばかりでした。この新党で3月の総選挙に臨み、和平への道筋をつけることになるだろうと見られていました。その道半ばにして倒れたものですから、せっかく芽生えた和平への動きがストップしてしまうのではないかと心配されているのです。
中東問題とは、何か。ごく簡単に言えば……
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