<2ページ目からの続き>
……日本の民族団体などは、8月9日を「反ソ・デー」に決めました。毎年8月9日に東京都内のロシア大使館周辺に街宣車があふれるのは、このためです。
日本が降伏した後もソ連は攻撃を続けた
日本は、1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾して連合国軍に降伏しましたね。でも、千島列島や北方4島では、戦争が終わらなかったのです。ソ連軍は、日本が降伏した後も日本を攻撃し、9月5日までに北方領土までを占領しました。無抵抗の日本人がソ連軍に殺されるという悲劇も起きました。
こうして、ソ連は北方領土を占領しました。「北方領土問題」が発生したのです。4島には計1万7000人の日本人が住んでいましたが、全員が追い出されました。
1951年、日本はサンフランシスコ講和(平和)条約を結び、日本がそれまで占領していた土地や植民地をすべて放棄しました。樺太の南半分と千島列島も放棄したのですが、北方4島は、日本固有の領土なので、放棄していません。【国境の移り変わりを地図で確認】
「北方領土問題」が発生した
サンフランシスコ講和条約が結ばれた当時、世界はアメリカグループとソ連グループに分かれ、厳しく対立するようになっていました。東西冷戦です。日本は、このサンフランシスコ講和条約で、アメリカグループとだけ条約を結びました。ソ連とは平和条約を結んでいないのです。
ソ連がロシアになっても、日本はまだロシアと平和条約を結んでいません。この事実を、意外に日本人が知らないのですね。「お互い平和を守り、戦争はしないようにしましょう」という約束を、日本は世界の国々と結んでいますが、お隣りのロシアとは結んでいないのです。
平和条約は結んでいませんが、国交は回復しました。1956年、日本の鳩山一郎総理(鳩山由紀夫、邦夫兄弟のおじいさん)がソ連を訪問し、「日ソ共同宣言」に調印しました。日本とソ連が、国と国とのお付き合いは再開しようというわけです。
しかし、北方領土に関しての話し合いはまとまりませんでした。ただし、このときソ連側は、「将来、平和条約を結んだら、4島のうち歯舞、色丹の2島だけは日本に返還する」と約束しています。
あなたが持っている世界地図か、地球儀を見てください。日本製の地図だったら、樺太の南半分と千島列島は、……
|